展示1 「ちっちゃい こえ」
アーサー・ビナード (詩人) [Profile]

アーサー・ビナード(詩人)

アーサー・ビナード(詩人)

1967年、米国ミシガン州生まれ。高校のころから詩を書き始め、コルゲート大学で英米文学を学び、来日と同時に日本語で詩作を始める。2001年、詩集『釣り上げては』で中原中也賞、2005年に『日本語ぽこりぽこり』で講談社エッセイ賞、2007年には『ここが家だ—ベン・シャーンの第五福竜丸』で日本絵本賞を受賞。詩集に『左右の安全』、絵本に『くうきのかお』『さがしています』、翻訳絵本に『ダンデライオン』、エッセイ集には『出世ミミズ』『空からきた魚』『日々の非常口』『アーサーの言の葉食堂』などがある。2020年、谷本清平和賞を受賞した。

『ちっちゃい こえ』とは

アメリカ出身の詩人、アーサー・ビナードさんが「原爆の図」をモチーフに脚本を書いた紙芝居『ちっちゃい こえ』(童心社刊)。画家である丸木位里と丸木俊が共同制作で30年以上にわたり描いた「原爆の図」は、全15部からなる大作です。「原爆の図」に衝撃を受けたビナードさんは、その連作の中から絵を切り取り、独自の物語を構築する"紙芝居"という表現に取り組みました。
会場では全編ご覧いただけます。

「原爆の図」とは

1945年8月6日。
ウラン235を原料にした原子爆弾が広島で使われました。
その3日後の8月9日には長崎で、プルトニウム239を原料にした原子爆弾が使われました。
広島は位里のふるさとです。親、兄弟、親戚が多く住んでいました。
当時東京に住んでいた位里が知らされたのは「広島に新型爆弾が落とされた」ということだけでした。
いったい広島はどうなってしまったのか。
位里は原爆投下から3日後に広島に行き、焼け野原と多くの人々が苦しむ光景を見ました。
俊はあとを追って1週間後に広島に入り、ふたりで救援活動を手伝いました。
それから5年後、「原爆の図 第1部 幽霊」が発表されます。数年間描きあぐねた「原爆」を、水墨画家の位里と油彩画家の俊の共同制作で、やっとかたちにすることができたのです。
はじめは1作だけ、その後は3部作にと考えていた「原爆の図」は、結果として15部を数えました。
最後に「ながさき」が描かれた1982年までの32年間、夫妻は放射線の長期にわたる被害を描き続けたのです。


オンラインでめぐる丸木美術館「原爆の図」ってなに? はこちらから

作者:丸木 位里(まるき・いり)[Profile]・丸木 俊(まるき・とし)[Profile]

丸木 位里(まるき・いり)

丸木位里は、1901年6月20日に広島の太田川上流の船宿兼農家に生まれた。戦前には前衛的な美術団体である歴程美術協会や美術文化協会に加わり、抽象やシュルレアリスム(超現実主義)を取り入れた独自の水墨画を発表して高い評価を受けた。1941年に油彩画家の赤松俊子と結婚。1945年に広島に原爆が落とされた時には、数日後にかけつけ、その様子を目撃した。やがて夫婦共同制作で《原爆の図》の制作に取り組み、30年以上の歳月をかけて15部の連作を完成。その一方で風景を中心としたスケールの大きな水墨画を数多く残している。1995年10月19日永眠、享年94歳。

丸木 俊(まるき・とし)

丸木俊(赤松俊子)は、1912年2月11日に北海道秩父別の善性寺に生まれた。女子美術専門学校(現・女子美術大学)で油絵を学び、その後、モスクワ、ミクロネシアに滞在。油絵やスケッチを多数描き、二科展に入選した。1941年に水墨画家の丸木位里と結婚。戦後は《原爆の図》をはじめ《南京大虐殺の図》、《アウシュビッツの図》、《水俣の図》、《沖縄戦の図》など社会的主題の夫婦共同制作を発表している。また、すぐれた絵本作家としても知られ、『ひろしまのピカ』、『つつじのむすめ』などの絵本は今も多くの人に読み継がれている。2000年1月13日永眠、享年87歳。

アーサー・ビナードさんが考える「子どもと放射線」、
その不条理。

−−なぜ、紙芝居という表現を選んだのでしょうか?

 アメリカに生まれたぼくは、紙芝居を知らずに育ったんですね。初めて出合ったのは23歳。池袋図書館で毎月「おはなしたんぽぽ」という会があって、大人はふつう参加しないけど、日本語のビギナーとして特別にぼくが出てもいいということになった。のっけから紙芝居のストーリーに包まれて、どんどん巻き込まれていきました。初体験だったんだけど、昔から自分がどこかで触れていたような感じもしたんですね。紙芝居はアメリカにはないメディアですが、でも、舞台は木製だし、もし寸法を合わせて絵を描いたり印刷したりすれば、アメリカでも作れる。
 このメディアは「強い」っていうふうに、だんだん思うようになりました。「古い」という感覚は全然なくて、斬新で可能性をはらんでいて、むしろ紙芝居が一番新しいメディア。これからは紙芝居だと思ってるんです。そういうと笑われることもあるんですが、その何が強いのか、何が未来に可能性を広げるのか、どこがすごいのかというと、「人力メディア」であること。
 紙芝居は表現力とやる気のある人さえいれば、成り立つ。脚本と絵を組み合わせて作りますが、たくさん先人たちのいい紙芝居もあるし、工夫すればいっぱい新しいストーリー、新しいコンテンツが作れます。「伝えよう」「演じよう」という思いが原動力になるんです。「人力」ですから。
 思い返せば、インターネットの黎明にみんなが盛んに言い触らして宣伝していたのは「インターネット時代は誰でもメディアになれる」「インターネットが広がれば、みんな発信できるし、世界は繋がる」ということ。そういう売り文句でしたよね。でも、蓋を開けてみると、誰も彼もいつでもBANされてSNSのアカウントがいきなり強制停止されてしまう可能性がある時代。だれでも消されてしまうメディアなんですよ。ぼくもYouTubeで歯に衣着せず語ると、時々消されてしまうんです。
 なぜそうなるのか。誰でもアクセスできるように見せかけているけど、実はその元締めが、これまでにないぐらい権力と権利を持っていて、いつでも消せるシステムになっています。そしてぼくらはそれに依存して、そのシステムにのっかっているわけです。たとえば、YouTubeやVimeoなどで発信することは、結局、スマホとかタブレットとかパソコンとかの世話になり、そのOSも含めて主導権を取られてしまうということ。突き詰めるとぼくらに権利はない状況です。

 そして、そもそもの大元締めが電力。つまり常に電気が送られてこないと何もできない。ぼくらはいろんな発信をしているという錯覚に陥るけれど、実は土台のない形でやってるんです。ところが、紙芝居はそうじゃないんですよね。ひとりの人間がやってみようと思ったら、野原でも川っぷちでも山頂でも、どこでもできる!たまに東京の巷でゲリラ的に紙芝居をやったりするんですけど、人が集まるんですよ。夜の新橋の駅前でやると、フラフラしてる人たちがいっぱい集まる。紙芝居はそういう形で、人から人へ不思議と伝わるメディアなんです。

−−アーサー・ビナードさんが考える「子どもと放射線」、その不条理

 子どもと不条理というテーマを示された際、瞬時に「原爆の図」が浮かんできました。15作品のシリーズで、「幽霊」という絵から始まります。そして「火」、その次は「水」です。そして4番目が「虹」。ここには、黒い雨と虹が描かれています。火も水も雨もみんな太古の昔から人間に大切な恩恵を及ぼしてきたものですが、原爆によって有害な存在に化けてしまう。ひどく不自然な日常です。人間が核分裂の連鎖反応に手を染めなければ黒い雨は、発生しません。
 先人たちがさらされていなかった新種の毒が、この100年の間に大量に作られてきましたね。これは、大人にとっても恐ろしいことですが、子どもの受難はもっと深刻。細胞分裂が盛んな生命体として発展している子どもたちがより一層不利になります。実はぼくが母親の子宮にいるとき、デトロイトに近いフェルミ原発がメルトダウンをきたして、奇跡的に大爆発をまぬがれたけれど、その事故が起きた直後にぼくが生まれた。考えると、20世紀初頭のぼくの祖父母が生まれた時代から残酷な流れが続いて、今年生まれた子どもたちの方がもっともっと毒素にさらされている。
 この紙芝居『ちっちゃい こえ』には、ウラン235の核分裂の瞬間が、劇的な場面として出てきます。核分裂の連鎖反応がピカアアアッと引き起こされウランの原子核が割れて広範囲に散るという、禍根を残す恐ろしい現象です。しかし、そのあと「平和利用」の名のもとで原子力を用いて発電することをずっと続けている。どこが漏らすのか、どこから飛んでくるのか、海に垂れ流すのか、空に出すのか、そういうものがみんな巡り巡ってくる。細胞分裂を盛んにやってる生命体に入って、繰り返し命を蝕んでいきます。
千代に八千代に毒を増やすのか、それこそが不条理の課題だとぼくは考えます。

紙芝居『ちっちゃい こえ』

場面①
紙芝居『ちっちゃい こえ』
脚本/アーサー・ビナード
絵/丸木俊・丸木位里「原爆の図」より
2019年 童心社刊
https://www.doshinsha.co.jp/search/info.php?isbn=9784494080847

紙芝居の絵はどこから?

原爆の図 第10部「署名」丸木位里・丸木俊 1955年 (後年に加筆) 水墨・彩色・木炭またはコンテ、紙 180×720cm 原爆の図丸木美術館

 第1部「幽霊」(1950年)から第15部「長崎」(1982年)まで作品の大きさは、どれも縦1.8メートル、横7.2メートルであり、四曲一双の屏風絵の形をとっています。紙芝居『ちっちゃい こえ』では、その壮大な「原爆の図」から絵を選んで切りとり、さらに工夫をこらして、構成しています。
 たとえば、場面6のサイボウたちは、「原爆の図」の第10部「署名」の中にあり、丸く膨らんで咲こうとしている梅のたくさんの蕾を取り出しています。場面8の原子爆弾が核分裂を引き起こす瞬間は、行列の先頭で赤ん坊を背負っている女性の衣類の柄を切り取って、拡大したり色彩を強めたりしています。
場面16に登場する少女は、「署名」の左側で、姉と見つめ合っています。
 このように大連作の15部の絵の中から、生き物や事物を見出してトリミングしたり反転させたり、合体させたりすることで、新しい物語を生み出しました。

場面④

クースケじゃないか。

ハトの クースケは ときどき
うちへ とんできて
ニュースを おしえてくれる。
きょうは ヒロシマの となりまち、
呉の はなし。
「たいへんだよ!
 呉の まちは まっかっか!
 アメリカ軍の 飛行機が
 どんどん 爆弾を おとして
 めらめら めらめら もえてる。
 こんどは ヒロシマに おとされるかも」

場面⑧

太陽より 百万ばいも まぶしいのが
キリキリキリイイイッと ささってきた!
つぎの しゅんかん

  ゴゴゴオオオオオッ!

場面⑥

おおきく ぐううっと 一万ばい!
きれいだろ? サイボウたちが あつまって
ずんずん はたらいているんだ。
じっと 耳を すませば きこえるはず。

  ずんずん るんるん
   ずずずんずん るんるんるん

ちっちゃい サイボウの こえ

  ずんずん るんるん
    ずずずんずん るんるんるん

いきている サイボウが ずっと
あたらしい サイボウを つくるから
きみも ぼくも ずっと ずっと
いきているんだ。

場面⑯

  ずんずん るんるん
   ずずずんずん るんるんるん

もし サイボウの こえが
ずっと きこえていたら

  ずんずん るんるん
    ずずずんずん るんるんるん

きみは きっと いきていけるんだ。