10年ほど前、自身が遭遇した事故の経験から、大切なものについて問う日々があった。ほんの小さな出来事や感情が、かけがえのないものへと変わっていく毎日だった。日頃からこどもと接する機会が多かったこともあり、殺伐としたこの社会の中で現代のこどもたちは何を大切に思えるのだろう? 大切に思うもの(=タカラモノ)について対話をしながら撮るポートレートのシリーズを始めるきっかけになった。
友人知人を介して、2015年から(コロナで中断後、2023年の日本を含む)こども達を訪ねる旅をした。同じ世代でも、取り巻く環境はさまざまで、宗教の違い、政治の違い、特に経済的な落差はこども達を直撃する。年齢の低い、小さなこどものタカラモノというと大抵は自分の目の前にある生活の中のほんの些細なものだ。だからこそその答えには日々の環境が直結しているように思えた。
フランス、パリのある高級アパルトマンに住むカーラは、毎日「好き」が変わる。その日はチョコレートだった。綺麗に並んだチョコレートを無心にほおばる。一方、パキスタン南部スラム、ムシャラフに住むシャムーンの大切なものもチョコレート。多くの場合、自分の持ち物の中から答える。だが彼は記憶の中から答えた。そしてまだ5歳の彼は、早く軍隊に入りたいと言う。軍隊に入れば勉強ができるからだ。食べることで精一杯の彼らには、現状教育も満足に施されていない。「チョコレート」は同じでも、内側にある意味は全く別のものだ。
またアフリカ、タンザニアでNPOの支援を受けるこどもたちは、自分の持ち物がないために、タカラモノという概念すら伝わらないことにはショックを受けた。
複雑化していく社会の中で、現実と夢や希望の接点を見つけることはますます難しくなりつつある。「幸せとは何か」を考えさせられる出会いもあった。それでも、どんなときでも、彼らは力強くその場所に、自分の足でしっかりと立ち、暮らしているのである。出会った数だけ、写真1枚1枚に、物語が生まれていく。世界はこうした小さな物語の積み重ねで成り立っていることを忘れないようにしたい。
今回の展示にあたり、子どもたちの「タカラモノ」を捉えた写真をルービック キューブのように立体的に構成したのはなぜでしょうか。
自身の作品のプロジェクトとして続けている「タカラモノ」ですが、最初は日本の子どもたちを撮影していたんです。『タカラモノ 123』展として、2011年に六本木ヒルズ UMU(東京)、ON READING(名古屋)、アセンスギャラリー(大阪)で発表をしました。写真展示の方法も今回とは違って、壁面に123人の子どもたちの写真を並べるスタイルでした。今のように海外の子どもたちも撮影するようになったのは、2015年からです。
日本を含む、フランス、ハワイ、中国、タンザニア、フィリピン、ラオス、スウェーデン、ブータン、パキスタンの10カ国を訪ねました。
知り合いや現地で活動しているNPOの方をつないで、地元の小学校や幼稚園、コミュニティで協力してくれる方を探していくんです。たとえば、タンザニアのザンジバルという島でのこと。とても貧しい地域があり、親も教育を受けられていないため、子どもにも「学校へ行かずに働きなさい」という。そこの学校では日本の企業、NPOからの給食支援を受けているんですが、「給食が出るなら学校へ行っていい」と親は許すんですね。そんな支援が必要な場所なので、子どもたちはぬいぐるみひとつ持っていない子もたくさんいる。「タカラモノはなに?」と聞いても、タカラモノという意味がわからないんです。そこで、「何をするのが好き?」と聞いたら「WRITING(書くこと)」と教えてくれました。その子が持っていたのは、ノートと鉛筆なんですね。
フィリピンの貧しい地域を訪れたとき、とある子は「自分自身がタカラモノ」だといったんです。ザンジバル島の「WRITING」と答えてくれた子は、その地域全体が貧しいため、まだ自分の置かれた環境を知らず、他者と比べることもまだ知らない。でも、フィリピンの子は、すぐそばに富裕層の人々が暮らしていて、自分はそうではないことをすでに知っている。だから、自分は成り上がっていこうという意味なのか「自分自身がタカラモノ」だという。同じ貧しいとされる地域でもこうした違いがありますし、日本やフランス、スウェーデン、ハワイ、中国の子どもたちの「タカラモノ」とも、まったく違うんですね。(撮影のエピソードはnoteからお読みいただけます)
こうした同じ地球、同じ時代に生きる子どもたちの決して交わらない価値観。それをも表現するには、「並べる」ではなく「混ぜる」ことをしたい、と考え、平面ではなく立体、多方向にぐるぐるまわるルービックキューブの形状がふさわしいと考えたんです。
この展示方法は、2023年の「京都国際写真祭KG+special 2023」に「100takaramono」として参加したときから始めました。今回のBe*hiveの展示では、テーマである「希望」と会場の雰囲気に合わせ、優しい印象の木枠に作り替えました。
今回の展示では、ふたりの女の子が手をつないでいる写真をキービジュアルとして、エントランスのタペストリーやチラシなどに取り入れています。これは、どのようなストーリーを持つ写真なのでしょうか。
左の女の子は、タンザニア共和国のザンジバル島に住む日本人ハーフのMiyuri。彼女のタカラモノは、親友の Safana。二人は学校のお友達で、Safanaは地元の生まれですが、インターに通う裕福な家庭のお子さんです。まるで雑誌から飛び出してきたように、二人で考えながらどんどんポーズしてくれました。
写真に写る子どもたち。さまざまな環境で生きていて、タカラモノ、希望のあり方もさまざまですね。今回は「希望」がテーマの展示ですが、自身の作品を通じて「子どもと希望」とはなにだとお考えですか?
答えはないといいますか、なにかひとつの答えを導き出すようなことはしたくないんです。私の写真を見て、さまざまな“希望のありかた”を見出していただけたらと思います。
The ban on television broadcasting in Bhutan was lifted in 1999. This was at the same time as the Internet.
(ブータンでテレビ放送が解禁されたのは1999年。インターネットと同時だった。)
I want to be a math teacher.
I like class room.
算数の先生になりたい。
クラスルームが好き。
My dad made me a Bardak costume.
パパが作ってくれた
バーダックのコスチューム。
I want to be a genius.
天才になりたい。