特別展示 子どもたちの笑い声が
つなぐもの
∼絵本作家 かがくいひろしの世界∼

ミリオンセラーとなった「だるまさん」シリーズで知られる絵本作家・かがくいひろし(1955-2009年)は、特別支援学校の教員でした。障がい児教育の現場で、子どもの反応を引き出すものは何か、日々模索するなかで得た知見や発想をもとに、珠玉の絵本を生み出します。かがくいが、作品の主軸に据えたのは「ユーモア」でした。
安心感に包まれて、からだを揺らして笑い転げる子どもたち。その笑い声は、時に希望となり、障壁を取り払い、人と人とを軽やかにつなぎます。笑顔で誰とでもつながっていける子どもたちの天性と共生の本質について、かがくいひろしの絵本は私たちに多くのことを教えてくれます。

本展は、2023年から全国を巡回中の展覧会「日本中の子どもたちを笑顔にした絵本作家かがくいひろしの世界展」制作チーム協力のもと、かがくいの教員時代の映像記録や制作物、絵本原画、未完となった作品を展示。笑顔の連鎖を生む、かがくい作品の源泉にせまります。

撮影:大志摩洋一

かがくい ひろし

1955-2009
1955年東京都生まれ。東京学芸大学教育学部美術学科卒業。千葉県下の特別支援学校で28年にわたり教鞭をとる傍ら、人形劇の公演活動や紙を使った立体造形作品の制作・発表をおこなう。50歳のときに応募した絵本『おもちのきもち』で、第27回講談社絵本新人賞を受賞し、絵本作家となる。以降、2009年に病で急逝するまでの4年間に、『もくもくやかん』、『みみかきめいじん』、『おむすびさんちのたうえのひ』、「だるまさん」シリーズ、「まくらのせんにん」シリーズ、『がまんのケーキ』など、数々の絵本を発表。遺された16冊の絵本は今なお版を重ね続け、子どもたちに愛されている。

展示紹介

かがくい先生のこと

かがくい先生は、東京生まれ。小さい頃から絵を描いたり、工作が大好きで、大学では美術の勉強をしました。卒業後、26歳で千葉県立松戸つくし養護学校の先生になります。学校でも家でも、いつも何かを作っている先生で、ゴリラのものまねが得意。生徒の前で「どてっ!」と、わざとずっこけては、みんなをげらげら笑わせる。そんな先生に子どもたちはすっかりなつき、絵や工作、陶芸、劇など、色々なものを楽しみながら一緒に作りあげました。その後、松戸養護学校で6年間、船橋養護学校で10年間を過ごします。パスタ絵本は、肢体不自由のある生徒とつくった教材。生徒の口にパスタやそうめんをくわえてもらい、いっせいのせで「ぱきんぽきん」と折って、振動や感触を楽しみます。折った麺を後日絵本の形に仕上げて読み聞かせ、生徒を喜ばせました。

松戸養護学校時代につくった「パスタ絵本」

「おなかのすいたクジラさん」

かがくい先生が手がけたクラス劇が大評判となり、保護者のリクエストに応えて絵本化したもの。場面ごとに描き下ろした絵に、出演した生徒たちの写真が貼りこまれ、最終ページには保護者からの寄せ書きも。

卒業式に贈った似顔絵

卒業式が近づくと、かがくい先生は自宅でひそかに生徒の似顔絵を描きためました。式の当日には、みんなの似顔絵が教室や廊下に飾られて、新しい旅立ちを祝いました。

「訪問部」での授業風景

52歳で松戸特別支援学校に戻り、訪問部の先生になります。生徒の自宅に、ギターやろくろ、手作り教材をどっさり抱えて登場するかがくい先生は、子どもの身体の動きをよく見て、はさみや針を使ったユニークな作品を数多くつくりました。生徒が大型車椅子でのバス乗車を断られたと聞けば、「それはおかしいよ」とバス会社と丁寧に交渉し、バス遠足にも出かけました。そばで見守っていた保護者は、「かがくい先生と過ごした2年間、うちの子の目がきらっと光って、本当に楽しそうだった」「うちの子、こんな風に楽しめるんだということを、私にもたくさん教えてくれた」と語ります。

子どもたちの笑顔と共に

かがくい先生は、船橋養護学校にいた40代後半から、一人でコツコツと絵本を描き進め、51歳で作家デビューします。完成した16冊の絵本は、そのどれもが、読む人を笑わせるものばかり。かがくい先生がものを作る原動力は、人を楽しませることでした。笑うことで場がゆるむ、心がふくらむ。なによりもかがくい先生自身が、子どもたちの笑顔から、前を向く力をもらっていました。かがくい先生は、絵本作家になった後も、54歳で亡くなる直前まで学校の仕事を続けました。ノートには、「楽しかった!教師という仕事楽しかったです。仕事という意識ほとんどなかったです」と記されています。子どもたちが今なお「かがくいひろしの絵本」で笑い転げていることは、かがくい先生にとって、なにより幸せなことでしょう。

撮影:黒澤義教

未完「こいのぼり」

2006-2007年
紙・パステル・色鉛筆・水彩絵具
加岳井久美子蔵

地面に空いたたくさんの穴。「吹き流し」が呼びかけると、穴から鯉たちがずずずと出てきて、空に飛び立つ。鯉たちは入院している子どもを見舞ったり出産に立ち会ったりしながら、最後は子どもの日を寿ことほぐ鯉のぼりとなってはためくというストーリー。出版には至らなかったが、アイデアノートに繰り返し描き留められており、かがくいが気に入っていたことがうかがわれる。

かがくいひろしの言葉

絵本を読む子どもたちには、笑っていてほしいと思っています(笑えなくても心の中で)。そして、その絵本を一緒に読んでいる大人の人も。笑いは、たとえその時一瞬であっても、生きるパワーを与えられるということを聞いたことがあります。また、人間の特性の一つとして、笑いの感情を他の人と共有できる、つまり一緒に楽しんで笑えるということがあるそうです。今、子どもたちの先を考えると、夢を描きにくいたいへんな時代だと思います。でも、私は、こういうしんどい時にこそ悲しい絵本ではなく、踏ん張って笑える絵本を作っていきたいと思っています。
読者レビューの中に、「ぐずっていた子どもが、だるまさんを読み始めると泣き止んで笑い出す、魔法の絵本」と書いてくれていた方がいました。そしてそのお子さんの笑い声が子育てや仕事の疲れを癒してくれるとも書いてくれていて、私も嬉しくなりました。絵本は、こう読まなければならないなんて決まりはなんだと思います。酔っ払っている時には酒くさい声のままで、疲れている時は眠そうな声のままでいいんだと思います。「おとうさん、口くさーい」とか「おかあさん、そこまちがえてる」とか文句を言いながらも、子どもは知っています。ビデオの映像のように画一的な同じ声ではなく、お父さんやお母さんの声が毎日違うことを。そして、疲れてしんどい時にも、子どもと一緒に時を過ごそうと絵本を読んでいてくれることを。どんな時代がこようとも、子どもの笑い声を聴きながら、踏ん張って歩いていきましょうね。

楽天ブックス著者インタビュー(2009年)より一部抜粋

ベテル修道女の言葉

これは、かがくい先生が大学生のころ、自分のベッド脇に貼っていた自筆のメモです。ベテルはドイツの小さな町で、充実した医療・福祉環境のもと、障がいのある人や社会生活に困難をもつ人々の就労や自立生活を、町全体で支えています。「この子どもたち」とは、ベテルの施設で暮らす障がいのある子どもたちのこと。ここに書かれた言葉は、障がい児教育の道を志したかがくい先生の出発点ともいえるものです。

「効果があればやる、効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが、これを人間の生き方にあてはめるのは間違いです。この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実して生きていくことが、大切なのです。わたしたちの努力の目標もそこにあります。」
(ドイツ・ビーレフェルト ベテル施設 修道女)
撮影:黒澤義教
「効果があればやる、効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが、これを人間の生き方にあてはめるのは間違いです。この子どもたちは、ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生をこの子どもたちなりに喜びをもって、充実して生きていくことが、大切なのです。わたしたちの努力の目標もそこにあります。」
(ドイツ・ビーレフェルト ベテル施設 修道女)

「日本中の子どもたちを笑顔にした絵本作家かがくいひろしの世界展」学校展示制作チーム
協力:加岳井久美子・渡辺直子・加岳井武志・ブロンズ新社・講談社・PHP研究所・佼成出版社・教育画劇・松本佳子・松本拓万・ 遠藤友子・遠藤航・文化企画・日本理化学工業
制作:水島尚喜(聖心女子大学教授)・柿木原政広、内堀結友(10inc.)・べんぴねこ・ロバの音楽座・沖本敦子・小西恵・堀川佳子
展覧会公式HP:https://kagakuihiroshi.com/