緒方貞子さんが学んだ
マザーブリットの教え、生き方
マザーブリットは聖心女子大学創立から19年間、学長を務め、その教えは多くの卒業生に記憶されています。 1期生の緒方さんも「これからの女性がどうあるべきか、自分でものを考え、人々のために行動する女性の育成という明確なヴィジョンをお持ちで、私も大きな影響をうけました。」と述べています。一人ひとりへの行き届いた配慮と高い経営能力はマザーブリットの二大特徴でした。
マザーブリットが行動をもって示した教えとは
「マザー・ブリットはアイディア豊富で、実行力や交渉力があり、素晴らしいリーダーでした。彼女に頼まれると誰も嫌とは言えないのです。」(『聞き書 緒方貞子回顧録』岩波書店)と緒方さんは述べています。
聖心女子大学の黎明期、校舎建築の資金を獲得するために、マザーブリットは工夫を凝らした数々の募金活動を考案し、学生にもそうした活動に関わることを求めました。支援者から調達した外車が当たるラッフル(福引)券も、学生たちが銀座の街角で販売しました。その際、マザーブリットは「試験などと重なって忙しくても、同時にいくつもの仕事をこなせるように」と学生たちを激励しました。この言葉には、忙しくても要領よく行動しなさいという、学生の将来を想う気持ちがあふれています。
聖心で学んだ社会奉仕の基本
緒方さんの奉仕活動の基本は、大学時代に培われました。マザーブリットの方針は「社会への奉仕は学生全員が行うもの」でした。例えば、年1回授業返上で、三河島セツルメント(養護施設)の子どもたちをキャンパスに招き、ゲームやスポーツを一緒に楽しむ企画を学生たちが立て、ランチやお土産も用意しました。夏休みの臨海学校にも付き添い、3度の食事当番を担当しました。
“超我の奉仕” “Service above Self”
自ら社会と関わる人に
マザーブリットは学生の将来について「家庭だけでなく、社会で役立つ人になること」を力説しました。在学中も社会活動のための資金集めを奨励し、将来、社会を改善するためにリーダーシップを発揮する賢明な女性となるよう指導しました。また、学長の仕事が多忙でも1年生の「宗教」と4年生の「現代思想」の必修授業を担当し、自ら執筆した教科書を使いました。
人間の安全保障
冷戦終結後の1990年代、「国」という単位で考えていては有効に対処できない問題が増加しました。1991年の湾岸戦争の際にイラク国内で生じたクルド人避難民問題もそのひとつです。
当時、国連難民高等弁務官だった緒方さんは、この問題に対して、人間の命を守るという原則に立って解決を図りました。こうした考え方と行動は、国際協力のあり方を変えていきました。
難民の将来まで見据えトータルな支援
「難民支援は、難民が祖国に戻ったところで終わるのではありません」「生きていれば、次の可能性が生まれる」。緒方さんの難民支援の原則は、尊厳ある人間の命を守ることでした。紛争終結後、故郷に帰還した人々が安定した生活を取り戻し、当事者間で和解と共生を実現し、平和が構築されるまで、途切れることなく支援する目標を描きました。
教育を重視し女性の自立を支援する
難民が国の再建を果たすには、切れ目のない支援が必須であると主張した緒方さんは、特に若者の将来のために小学校以降の教育の機会が必須と考え、2001年に難民教育基金*を創設しました。
最も複雑で困難を極めたルワンダ難民の救済では、1994年の大虐殺の後、人口の7割近くが教育をほとんど受けていない女性という状況でした。新生ルワンダを建設するには和解と共生の実現とともに、女性の能力向上のための教育こそが鍵となると緒方さんは考え、1997年、女性のイニシャティブ支援を推進しました。
政府の援助に加えて多くの女性支援団体との協力により立ちあがったルワンダの女性たちは目覚ましい成果をあげ、現在ルワンダの女性議員数は56%と世界トップ(2021年)になっています。
- “Refugee Education Trust” 略してRET。聖心女子大学の難民支援学生団体シュレットSHRET(Sacred Heart Refugee Education Trust)は緒方さんが設立したRETの精神に基づいて活動しています。
共生・連帯・平和の構築
世界は多様な文化や価値観、社会から成り立っていますが、みな同じ「人間」であり、相互に依存し合って生活しています。自分のことだけでなく、世界の人々のことも考えなければならないのです。
緒方さんは、国連難民高等弁務官などとして、紛争や難民など、世界で起きているさまざまな問題の解決に努めました。
第1期での展示に加え、第2期では緒方さんの思いを受け継いで尽力する人々の動画や、新たに見つかったマザーブリットの写真などを紹介します。