工芸と歴史の政治性に着目し、テキスタイルや染織技法、映像を用いる工芸・美術作家・遠藤薫さん。
女工たちが縫っていた旧日本軍の落下傘をはじめとして、当時の資料や、
工場で働いていた女性のインタビュー動画を通じて、当時の女工たちが置かれた環境を考察します。
展示1
旧日本軍の落下傘
遠藤薫
(工芸・美術作家)
[Profile]
2013 年に沖縄県立芸術大学工芸専攻染織科を卒業後、2016 年に志村ふくみ(紬織、 重要無形文化財保持者)主宰のアルスシムラにて学びます。各地を旅しながら、その地に根ざし た工芸と歴史、日常生活、政治の関係性を紐解き、自分の体を使いながら工芸を拡張する活動をしています。最近の主な展示に「国際芸術祭あいち2022」豊島記念資料館、「琉球の横顔」沖縄県立博物館・美術館(2021–2022)、「Welcome, Stranger, to this Place」東京藝術大学大学美術館 陳列館(2021)、「第13回 shiseido art egg」 資生堂ギャラリー(2019、東京)など。
2013 年に沖縄県立芸術大学工芸専攻染織科を卒業後、2016 年に志村ふくみ(紬織、 重要無形文化財保持者)主宰のアルスシムラにて学びます。各地を旅しながら、その地に根ざし た工芸と歴史、日常生活、政治の関係性を紐解き、自分の体を使いながら工芸を拡張する活動をしています。最近の主な展示に「国際芸術祭あいち2022」豊島記念資料館、「琉球の横顔」沖縄県立博物館・美術館(2021–2022)、「Welcome, Stranger, to this Place」東京藝術大学大学美術館 陳列館(2021)、「第13回 shiseido art egg」 資生堂ギャラリー(2019、東京)など。
本映像作品の撮影場所は、愛知県の一宮の木曽川です。
2022年の旧暦の七夕の日、遠藤は旧日本軍の落下傘を背負って、歩きました。織物工場の女工さんたちは、「織姫」と呼ばれ、日本三大七夕祭の地で知られています。
この地は古くから木曽川の豊富な水流や物流の恩恵を受け、特に繊維業が今でも盛んです。とりわけ羊毛による毛織物は国内最大の生産量を誇ります。もともと日本にいなかった羊は、輸入され、国策として日本各地で飼育されるようになりました。
なぜ羊は日本にやってきたか、それは、寒い戦地で身に着けるための軍服の素材になるからです。
遠藤は、当時から一宮の毛織物工場で働く、とある女性にお話を伺いました。
彼女は、戦時中は毛織物工場にて、落下傘または風船爆弾を縫った経験についてお話しを聞かせて下さいました。
終戦の近い頃、戦火から身を守るために掘られた壕の穴の中へ避難する際には、兵隊さんから陶器製手榴弾を持たされた、と彼女は語ります。
鉄が不足していた当時は、全国の陶工がその地の土と釉薬を用いて手榴弾を制作しました。殺傷能力が鉄製のものよりも劣るそれらは、自ら高潔な死を選択するための自決用に市民に配られたようです。
しかしながら、彼女は恐ろしくなって手榴弾を投げ捨て、壕には入らず、藪の中に逃げ込みました。
彼女が入るはずだった壕の中の人々は、自決の火が次々に引火し、ほとんどの人が命を失ったそうです。
彼女は、インタビューの中で「私は、弱虫だったから、生き残った」と何度も繰り返します。
一宮は隠れキリシタン弾圧が本州で最も激しかった地でもあります。
信仰心の強さゆえ踏み絵を踏まずに命を落とした隠れキリシタンたちと、万歳を言って国のために自ら命を絶つこと。それらに対して、”弱虫だから”逃げて生き残ったという彼女の行動との間にあるものとは、一体どういうものなのでしょうか。
そして、それらは現代を生きる私たちにとって、すでに無縁のものなのでしょうか。
弱さと強さについて、そして、生き残ることについて本展では改めて思考を巡らせます。
会場には、九州の飛行場にて女工たちが縫った旧陸軍の絹製の落下傘(1944年製)を展示しています。
その他の資料は、群馬の富岡製糸場に関するもの、現在も当時の機械で稼働している碓氷製糸場にて制作された絹糸、『女工哀史』の舞台である旧東京モスリンの製糸場の古糸、全国から集められた陶器製手榴弾などに加え、女工に関する文献などの資料をさまざま展示しています。