マザーブリットの生涯

聖心女子大学創立75周年記念常設展 これまでの歩み、これからの道

プロフィール

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マザーブリットの
たどった航路

当時の移動はたいへんな困難を伴いました。
第二次世界大戦の影響も受ける時代。
マザーブリットは、各国の文化に触れ学び、そして聖心の教育を根付かせていきました。

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第二次世界大戦中に、開戦によって敵国となってしまった国に在留する外交官や一般市民を故国に帰国させるために運行した船を「交換船」と呼び、地図には1943年、第二次日米交換船の航路が記されている。
日本からの交換船、帝亜丸は横浜を出港後、アジア各国、各地に寄港して拘留されていたアメリカ人を乗船させ、交換地であるインドのポルトガル領ゴアに向かい、アメリカからはグリプスホルム号が中南米諸国に寄港して、在住していた日本人を乗船させてゴアに向かった。

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