第1章 「信徒発見」の衝撃

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展示品1
維新政府によるキリシタン禁制の高札 (青山学院ミュージアム蔵)

一 切支丹宗門の儀は是迄御制禁の通固く可相守事
一 邪宗門の儀は固く禁止候事

慶應四年三月 太政官

江戸時代、幕府から各種の禁令や犯罪人の罪状などを通達する方法として、板に書き示して人目に付きやすい場所に掲げたものを「高札」といい、これを掲げた場所を「高札場」といいます。明治政府も当初これを受け継ぎ、1868年(慶応4年・明治元年)、新政府の通達として「五榜の掲示」の高札を掲げたのです。第一札は道徳の遵守や殺人・放火・強盗の厳禁、第二札は徒党・強訴・逃散の禁止、第三札は切支丹・邪宗門の禁制、第四札は外国人への危害禁止、第五札は脱籍・浮浪の禁止でした。

府中の高札場は大国魂神社御旅所の柵内に現在も残っている(撮影:加藤和哉)。ここは当時、甲州街道と北上する川越街道、南下する相州街道(現在の府中街道)が交差する交通の要所だった。

展示品2
三尺牢の模型

この模型は、乙女峠(島根県津和野町)にある復元像の写真に基づき、木材を用いて製作したものです。全面が格子状となっておりますが、体験者の報告によると、実際には、前面以外はすべて塞がれていて、上面に食事を与えるための丸い穴が開いているだけだったようです。
キリシタンたちは、場合によっては10日以上もこの年の中に幽閉されました。

※復元像の写真は、下記のURLからご覧いただけます。
 https://www.shimane19.net/report/tsuwano/633

三尺牢に投獄された主な人物

1. アントニオ・マリア深堀和三郎

[1868年11月22日(明治元年10月9日)死去 26歳]
最初の死者。浦上のキリシタンのリーダーの一人。三尺牢に20日間投獄され、病気で死亡。

2. ヨハネ・バプティスタ(洗礼者)榊安太郎

[1869年3月4日(明治2年1月22日)死去 30歳]
三尺牢に幽閉されたり、雪の中地面に座らされて棄教を迫られて、下痢で衰弱し、死亡。
聖母マリアのような美しい女性が毎晩現れると仲間に伝えたという。

3. ヨハネ・ヨセフ岩永清四郎

[1869年3月30日(明治2年2月18日)死去 53歳]
逮捕後の拷問で衰弱し、津和野に送られ、赤痢に罹患して病死。
娘つるは、萩に流され拷問を受けたが、生き延びて長崎に帰郷し、のちに日本人最初の準修道会「十字会」の一員となった。