庭田杏珠さんが2017年から取り組む、原爆投下前の日常をとらえたモノクロ写真をカラー化する取り組み。単にAIを使って白黒写真をカラー化するのではなく、写真を提供してくださった方々と対話を重ねたり、資料を調べたりして「記憶の色」をよみがえらせることが根幹です。一つひとつ手作業で色を施し、戦争体験者の「想い・記憶」を未来に継承することを目的にしています。
展示2
「記憶の解凍」
庭田杏珠
(peaceアーティスト)
[Profile]
庭田杏珠(peaceアーティスト)
2001年、広島県生まれ。地元テレビ局勤務。「平和教育の教育空間」について、実践と研究を進める。2017年、中島地区(現在の広島平和記念公 園)に生家のあった濵井德三氏と出会い、「記憶の解凍」の取り組みを開始。これまでに展覧 会、映像制作、アプリ開発など、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。 国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(2018年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞 (2019年)、令和2年度学生表彰「東京大学総長 賞」などを受賞。渡邉氏と共著した「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社新書、2020年)で「第11回広島本大賞」(2021年) を受賞。2021年8月、HIPPY氏、はらかなこ氏と 楽曲「Color of Memory~記憶の色~」、達富航平氏とMVを制作。音楽とカラー化写真のコ ラボレーションにも挑戦している。
庭田杏珠(peaceアーティスト)
2001年、広島県生まれ。地元テレビ局勤務。「平和教育の教育空間」について、実践と研究を進める。2017年、中島地区(現在の広島平和記念公 園)に生家のあった濵井德三氏と出会い、「記憶の解凍」の取り組みを開始。これまでに展覧 会、映像制作、アプリ開発など、アートやテクノロジーを通した戦争体験者の「想い・記憶」の継承に取り組む。 国際平和映像祭(UFPFF)学生部門賞(2018年)、「国際理解・国際協力のための高校生の主張コンクール」外務大臣賞 (2019年)、令和2年度学生表彰「東京大学総長 賞」などを受賞。渡邉氏と共著した「AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争」(光文社新書、2020年)で「第11回広島本大賞」(2021年) を受賞。2021年8月、HIPPY氏、はらかなこ氏と 楽曲「Color of Memory~記憶の色~」、達富航平氏とMVを制作。音楽とカラー化写真のコ ラボレーションにも挑戦している。
「記憶の解凍」 とは
庭田杏珠さんへ インタビュー
-写真のカラー化を始めたきっかけは?
私は広島出身なのですが、最初に平和教育を受けたのは幼稚園の年長でした。原爆投下後の惨状を見てすごく怖くて、それ以来苦手意識を持ってしまったんです。それが、小学校5年生のときに平和学習のフィールドワークでもらったパンフレットの写真を見て意識が変わりました。それは、現在の広島平和記念公園と原爆投下前の街の様子を見比べるものでした。平和記念公園はかつて約4,400人が暮らす繁華街で、“中島地区”と呼ばれていました。今と変わらない日常生活がたった一発の原爆で失われた。そのとき、はじめて自分ごととして想像でき、平和を伝えることの大切さを感じました。
写真をカラー化するきっかけは、高校1年生のときでした。被爆者の証言収録などの平和活動を行う委員会に入り、平和公園で核兵器禁止条約の締結を求める署名活動をしていると、濵井德三さんという方に偶然出会いました。濵井さん一家は中島地区で理髪店を営んでいて、疎開していたご本人以外全員が原爆で命を落としたんです。濵井さんとの出会いの1週間後、インターネットのデジタル地球儀上に被爆証言動画や資料を掲載した「ヒロシマ・アーカイブ」を制作した、東京大学大学院の渡邉英徳先生のワークショップに参加し、「AIによる自動色付け」技術を学ぶ機会がありました。後日、濵井さんの証言収録時にお持ちいただいたアルバムには、原爆投下前のご家族との日常を捉えた貴重な白黒写真が約250枚収められていました。それを見て「カラー化した写真をアルバムにしてプレゼントして、ご家族をいつも近くに感じてほしい」という想いから始めました。
-AIによる写真のカラー化とは、どのような作業なのでしょうか?
まず、白黒・カラー画像を多数学習させたAIをいくつか組み合わせて、白黒写真を自動色付けします。AIは人肌や空などの自然物は得意なんですが、服などの人工物のカラー化は苦手です。自動色付けは1割程度で、あくまで下色付けです。当時の資料を調べたり、戦争を体験された方から何度もお話を伺ったりして、手作業で色補正を繰り返して「記憶の色」を再現します。とても手間がかかる作業で、数カ月かかることもあります。
たとえば、“長寿園の花見”という写真※。AIだけによるカラー化の段階では、背景の木の葉はすべて緑色でした。でも、濵井さんに見ていただくと、これはお花見だから桜色にしないとね、と。青々とした杉並木を見て“杉の実を採って杉鉄砲の弾にしてよく遊んだなあ”とか、“弾薬庫がそばにあって怖かった”とか、白黒写真では思い出せなかった記憶がカラーだと新たによみがえってきたんです。さらに「家族がまだ生きてるみたい」と、とても喜ばれました。まるで、白黒写真では凍りついていた記憶が、カラーになることで解けはじめるようで、「記憶の解凍」と呼び始めました。ほかにも、“夏の団らん”の写真※を提供された方は、認知症を患っていて対話するのは難しいとのことだったんですが、直接お会いしてカラー化した写真を見ながらお話しすると、「フラッシュが怖かったから」(スイカの皮をかぶった)と教えてくれたんです。他の写真についても、次々と「記憶が解凍」されて、とても楽しそうにお話しされました。その様子をご覧になった娘さんもとても喜ばれたことが嬉しかったです。
-写真のカラー化が目指すこととは?
2020年の春までの成果をまとめたカラー化写真集『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社新書)を渡邉先生と出版しました。戦前の広島・沖縄・国内のようす、開戦から太平洋戦線、沖縄戦・空襲・原爆投下・終戦にいたるまでの355点が収録され、今回の展示のテーマである「子どもと放射線」について考えるきっかけにもなると思います。
中島地区出身の方から提供された写真だけではなく、新聞社に直接伺う中、私は子どもたちの日常の目線から写真を探し、カラー化しました。それは、戦争は戦地で戦う大人たちだけではなく、子どもたちを含む一般市民も知らずしらず巻き込んでいくということを伝えたかったから。戦争は歴史上の出来事として認識されがちですが、疎開していて家族とお別れも言えないままひとりぼっちになってしまった濵井さんたちのことを想像すると、実は個人の戦争体験が集まったものだと感じるんです。その戦争体験を掘り起こし、憎しみや悲しみを乗り越えて「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」と、これからの平和を願う崇高な想いを伝えていくことが、「記憶の解凍」の意義だと感じています。
これまでの平和教育は、8月6日原爆投下後の惨状を伝えることで、これを二度と繰り返さないように、という伝え方が主流だったと思います。しかし、近い将来戦争体験者がひとりもいなくなる世界がやってきます。戦争を体験していない私たち若者は、体験者の見た惨状や気持ちを100パーセント理解することはできません。でも、その心に寄り添い、「想い・記憶」を受け継ぎ、伝え続けることはできます。
私たちは戦争体験者から直接お話を伺える最後の世代であると同時に、ともに伝えることのできる今は、とても貴重な時間。今回の展示が、戦争や平和について関心のない人たちにも、何か行動を起こすきっかけになったらと願いながら、これからも伝え続けます。
11点の写真から見る 「記憶の解凍」
会場で展示している写真の一部は、『AIとカラーした写真でよみがえる戦前・戦争 』や 「記憶の解凍」ARアプリからご覧いただけます。
映像で見る 「記憶の解凍」
「記憶の解凍」ムービー
~カラー化写真で時を刻み,息づきはじめるヒロシマ~
庭田杏珠×山浦徹也(2018年)
この映像作品は、国際平和映像祭(UFPFF)2018にて学生部門賞を受賞し、ニューヨークやセルビアなど、各国の映像祭で招待上映されました。また、 YouTubeにおける再生回数は88,000回以上。戦争体験者の「想い・記憶」は、共感の輪を通して、世界に拡がり続けています。
「Color of Memory ~記憶の色~」
HIPPY×はらかなこ feat. Anju(2021年)
カラー化写真と音楽のコラボレーションによる、「観る・聴く」人の「感性」に響く平和の伝え方に取り組んでいます。広島出身のシンガーソングライターHIPPY氏、ピアニストのはらかなこ氏と、楽曲「Color of Memory ~記憶の色~」を制作。作詞とコーラスに初挑戦しました。また、映像作家の達富航平氏が撮影・ 編集した MVは、YouTubeで公開されています。対話でよみがえった「記憶の色」と音楽を通して、戦争体 験者の「想い・記憶」が共感とともに世界に拡がり、未来へ継承されていくことを祈っています。