企画展 いま、「女性」はどう生きるか ―キャリア・結婚・装い・命―

Chapter 2 日本の歴史から「児童婚」を考える

なぜ日本は結婚年齢が上昇したのか?

今からおよそ300年前の江戸時代中頃、女性が18歳未満で結婚することは決して珍しくありませんでした。しかしその後、江戸時代の後期から明治初期にかけて、女性の平均初婚年齢は着実に上昇していったことが知られています。幕末・明治の日本は、「児童婚状態」を徐々に脱して、晩婚化が進む社会だったのです。

結婚年齢が上昇した背景には、さまざまな要因がありますが、その1つとして、家や村の外に奉公に出て働き、収入を得る女性たちが増加したことが大きく関係していると指摘されています。

歴史人口学の研究成果によれば、江戸時代中期の平均初婚年齢は、男性17~28歳、女性14~22歳くらいだと言われています。幅があるのは、地域差がかなり大きいためです。全国平均が推計できるのは明治19年(1886)で、男性25.3歳、女性21.3歳となっています。

一方で、江戸時代後期から幕末・明治前期にかけて、多くの地域で女性の晩婚化が進んでいたことも指摘されています。上のグラフは濃尾地方43ヶ村を対象とした研究の結果です。

POINT
  • 奉公で収入を得る女性の増加
  • 速水融「濃尾地方の歴史人口学的研究序説」徳川林政史研究所『研究紀要』昭和53年度、1979年

現代と変わらない離婚率…理由は女性の◯◯にあり

幕末・明治の日本でもう1つ注目されるのは、離婚率が高かったことです。明治20年(1888)の特殊離婚率は33.2%、結婚した3組に1組が離婚する計算です。これらは現代と同等かそれ以上に高い水準であり、また、同じ時代の欧米諸国と比べても高いものでした。

この要因は、当時の庶民のなかに結婚や離婚を神聖視・重大視しないメンタリティや再婚市場の活発さがあったこと、この時期に女性の就業機会が増え、一家の稼ぎ手として重要な位置を占めるようになったことが影響していると考えられています。

注)普通離婚率は人口1000 人当たりの離婚件数。特殊離婚は離婚件数/婚姻件数の百分比。

  • 1943 年以前は「日本帝国統計年鑑」(各年度)
    1947 年以降は「人口動態統計」(各年度)
POINT
  • 結婚や再婚への意識の違い
  • 就業する女性が増加し、一家の稼ぎ手としても重要な立場に

「亭主持ちの窮屈さ」なんて!

繭(まゆ)から生糸を作る製糸業は、戦前の日本を支えた最大の外貨獲得産業です。そこで働く大半は女性労働者(工女)でした。とくに、国内最大の産地・長野県諏訪地方では、他と比べて高い賃金を支給しており、近隣諸県から数万人もの女性が集まっていました。

当時の信濃毎日新聞では、諏訪製糸業の工女たちが、男性に従属するばかりではなく、力強くいきいきと生活する側面も数多く紹介しています。「工女に離縁者多し」という見出しの記事では、「亭主持の窮屈」に耐えるよりも、「自働自営」の「気楽」さを選ぶ工女たちも多いことが記されています。

  • 『信濃毎日新聞』1893年8月26日
POINT
  • 高賃金(「善き労銀」)を得ることへの慣れ
  • 「自働自営」の「気楽」さが女性を強くした

諏訪製糸業の工女たちは、徹底した成果主義と厳しい競争的環境のなかで働いていました。そうであるからこそ、「工女は自由労働者なり、いささかも雇主の束縛を受くる者にあらず」と言われる強さも持っていました。そうした彼女たちの就業時間後、日常生活のワンシーンを四コマ漫画で紹介します。

日本女性は強い? 外国人から見た「かかあ天下」

群馬県の名物を指す言葉「かかあ天下と空からっ風かぜ」。かつての群馬県では養蚕や製糸・織物業が盛んで、女性も賃金獲得機会に恵まれて、一定の経済力を持っていたために、家庭内での妻の立場や発言力が強かったと言われます。

幕末から明治期にかけて日本を訪れ、日本の庶民階級の女性の地位や立場について言及した外国人たちの記録のなかにも、同様のことが述べられています。

児童婚を撲滅するために必要な女性のエンパワーメント。それを実現するためには、何が必要なのか。幕末・明治期の日本の経験から、そのヒントを得ることができるかもしれません。

  • 『日本事物誌』第2巻(東洋文庫)、平凡社、1969年
  • 『ウェストンの明治見聞記』新人物往来社、1987年
同時開催