企画展 いま、「女性」はどう生きるか ―キャリア・結婚・装い・命―

叫ぶ芸術 ポスターに見る世界の女たち

ご挨拶

聖心女子大学現代教養学部 人間関係学科
教授 大槻 奈巳

残念ながら、女性と男性の権利は同じではありませんでした。同じ権利を得られるようにと、女性たちは運動してきました。

例えば、19世紀終わりから20世紀にかけて、女性の参政権を求める運動がありました(第一波フェミニズム運動)。国政選挙において、世界ではじめて女性の参政権が認められたのは英領ニュージーランドで1893年(被選挙権は1919年)です。日本で国政選挙において女性に参政権が認められたのは、1945年でした。

1960年代には、アメリカや欧州を中心に女性の立場の弱さを「私的領域―家族関係や役割」にも求め、それを変えようとする運動がおきます。「(第二波)フェミニズム運動」です。「公的領域」での平等―参政権や教育の機会―を得ても女性の立場は男性とまだまだ同じではなかったのです。

「フェミニズム運動」のなかから、ジェンダーの視点が生まれます。ジェンダーの視点によって、政治・経済・教育・文化・家族などあらゆる領域で女性が男性と異なる役割を与えられていること、「性の特質」と役割が結びついていること、その役割の評価が異なること、この状況は、生物学的な差からではなく、社会・文化的に形成されているという考えが打ち出されます。

ここに展示した世界各国のポスターは、女性の権利や男女平等を啓発するための作品です。収集したのは女性政策を研究する三井マリ子さんです。三井さん自身が撮影した画像のそれぞれに、三井さんの解説が添えられて、2012年から「I(アイ)女のしんぶん」に連載されました。この展示は、三井さんから画像データ等の複製許可をいただき、「I女性会議」のご好意で実現しました。

世界中から集められたポスターが発信するメッセージを聞いてください。こんな「事実がある(あった)」ということを知ってください。社会を変えるために、あなたならどんなポスターを作りますか。

世界の女性政策を研究している
三井マリ子さんが、足で集めたポスターを
自ら撮影した画像とともに、解説をまじえて紹介します。

ポスターは、どれも、それぞれの国で、
女性解放運動や男女平等推進の広報に使われたものです。

ポスターが貼られた当時、世界の女たちが何に怒り、
何を求めていたかを感じ取ることができます。

三井さんの「叫ぶ芸術 ポスターに見る世界の女たち」は、
「I(アイ)女のしんぶん」に2012年から連載中です。

アイ女性会議
提供:三井マリ子さん

第9回アタシ、指揮者になるの!(スペイン)

第9回 アタシ、指揮者になるの!(スペイン)

標語は「彼女の教育に限界なんてありません、彼女こそ21世紀そのものです」
プラスチックの空き箱を逆さにした急ごしらえの指揮台で、女の子は「アタシ、大きくなったら指揮者になるの」と叫んでいるようだ。
このポスターを見た私の脳裏に、1990年代のノルウェーの光景が浮かんだ。
「ぼく、大きくなったら首相になるんだ」「あら無理よ、だってあなた男の子でしょ」…というのは、ノルウェー初の女性首相グロ・H・ブルントラントが就任中の傑作小話である。
1990年頃、ブルントラントが党首をつとめる労働党は、この小話のセリフをそのまま絵葉書にした。女性の政治進出に拍車をかけるためのPRだった。その後、ノルウェーでは、男性の首相が続いたものの、閣僚の半数を女性が占めるのが当たり前になった。政権交代があろうと「男女半々内閣」は変わらないまま現在に至っている。

さて、南欧スペインのポスター、街角に貼られたのは1980年代だというから、北欧ノルウェーより先を行っていた。ポスターを考案したのは、なんとスペイン政府だった。女性の生き方にタガをはめてきたカソリックの国スペインで、政府が80年代にこんな斬新なポスターをつくったなんて、驚きだ。

時代はうんとさかのぼって1930年代のスペイン共和制下。差別的離婚制度が撤廃され、女性参政権が認められたのだが、ほんのつかの間の出来事だった。
やがて内戦が勃発し、1939年からフランコ独裁政権が始まった。暗黒時代は1975年まで続いた。フランコ時代の理想の女性像は、〝家庭の天使〞〝勤勉な母親〞〝かわいい妻〞…つまり、女性は「子産み機械」だった。
インターネットで当時の写真を見つけた。16人もの子どもに囲まれた、やつれきった母親がこちらを見ていた。何が「勤勉な母親」だ!

1975年、フランコの死によって、独裁政権が崩壊した。百花がいっせいに咲き始めるがごとく、さまざまな女性運動が始まった。おりしもフェミニズムの嵐が世界のあちこちで吹き荒れた頃だ。スペインの女性たちも「妊娠中絶の自由を」「離婚の自由を」「教育の場や働く場での女性差別撤廃を」と書いた横断幕を高々と掲げて、街に繰り出した。
1980年、社会労働党政権が誕生した。1983年、政府は女性差別撤廃と男女平等を推進するための政府機関「女性研究所」を創設した。女性の健康を促進し、働く場を広げるための、啓発・調査・助成の拠点であった。メディアにおいて女性がどう表現されているかに的が絞られ、性差別に満ちた表現がやり玉にあげられた。
その「女性研究所」が力を込めて発信した1枚が、女の子が指揮棒を振るう、このポスターだった。
余談だが、世界を見渡せば、首相になれる女性が少ないのと同様、オーケストラで指揮棒を振る女性も本当に少ない。先月、ロンドン恒例のロイヤルアルバートホールでの「ザ・プロムス」コンサートで指揮をしたのは、マリン・オールソップだった。「118年間の女人禁制が破られた」と、BBCは驚きに満ち満ちた大げさな表現で報道した。
私は、8月9日、東京芸術大学音楽部音楽研究科に電話してみた。
「指揮科に女子学生はいま何人いますか」
電話の向こうから聞こえてきた答えは、
「男女統計はとっていませんが、えーと、女性はどの学年にもいません」

2013.9.10

第34回赤いバラの闘い(アムネスティ)

第34回赤いバラの闘い(アムネスティ)

20年以上前のことだが、マレーシア・クアラルンプールで、通訳の女性に「あなたの国が抱えている最大の女性問題はなんですか」と尋ねてみた。
すると声をひそめ、絶対匿名を条件に「女性器切除の慣習です」

マレーシアはマレー系、中国系、インド系の主要3民族のほか、たくさんの民族が混じる多民族国家だが、国教はイスラム教だ。マレー系女性は、宗教・文化的慣習から幼い頃、ほぼ全員が性器の一部を切除されるのだという。通訳は中国系マレーシア人だった。
「でも、あなたは仏教徒ですからしなくていいんですよね」
「実は姉はマレー系男性と結婚したんですが、彼は性器を切除してない女性とは結婚できないと言い張るので、ついに姉は女性器切除をされました。姉のような例はたくさんあるのに、誰にも話せないので、社会問題にならないのです」
女性器切除(FGM)は、アフリカの国々の村で行なわれている伝統的儀式だとは聞いていたが、高層ビルが立ち並ぶアジアの大都市でも行われていると聞いて、怒りがこみあげた。
多くの場合、カミソリやガラスの破片で麻酔なしで切りとり、縫い合わせる。激痛と出血のショックで精神に障害をきたしたり、排尿障害、感染症、貧血、腎障害、性交時の激痛、難産、月経困難症…死に至ることもある。生後1週間から初潮を迎える頃の15歳までに行われる。
蛮行の理由だが、結婚前の女性は純潔でなくてはならない、よって性的快感を得る女性器の一部は切除しなければならない、という偏見に基づいている。女性器切除をしないと女性は結婚できない、という迷信もあるという。
ユニセフ、WHO、国連人口基金なども根絶に乗り出した。アフリカでは禁止法を制定する国も出てきた。しかし、世界30カ国で2億人以上の少女・女性が犠牲になっており、今も毎年、約300万人が危機に瀕している(2016年、WHO)。

このポスターは、FGM根絶の世界的キャンペーンを展開するアムネスティのために2009年、スウェーデンのデザイン会社「ヴォロンテール」が無料で提供を申し出た。
ひとつ間違えば扇情的に陥りかねない、このタブー中のタブーをどうすれば目を引く広告にできるか。デザイナー2人は、真っ赤なバラの花びらを縫い合わせて、見事な芸術作品にしあげた。
白い小さな字いわく
「これは明らかな人権侵害である。いかなる政府もこの犯罪に目をつむってはならない。少女・女性への暴力を許さない、このたたかいに力を」

2016.4.10

第35回この髭が目にはいらぬか!(ノルウェー)

第35回 この髭が目にはいらぬか!(ノルウェー)

男女平等では世界の先頭を走るノルウェーでも、男女の賃金格差は、男100円に対して女85円だ。
2009年、ノルウェーの女たちはこの賃金格差に怒って、「同一価値労働同一賃金」を求める空前の大ポスター作戦に打って出た。女性看護師が、鼻の下に横一文字の筆書きの髭を付けて微笑みながら「ひと筆で格差を減らせますよ」と国民に呼びかけた。
「髭」は男の象徴で、つまりは「髭のあるなしだけでこんな格差があっていいのか」と訴えたのである。

ポスターは、あらゆる駅や公共機関に貼り出され、新聞、雑誌、ネットにも登場した。黒色の筆でサッと書ける簡単さ。子どもの落書きのように見えて、何だかおかしい。この「髭キャンペーン」は大当たりし、一時は町からポスターが消えた。市民に持ち去られてしまったのだ。
作戦を企画したのはノルウェー看護協会だった。男性会員もいるが、主力は女性。9月の国政選挙を射程に入れてキャンペーン特別班を編成し、作戦は年明けから動き出した。協会のホームページには多数の著名人がポスターと同じ絵柄の髭で登場し「同一価値労働同一賃金を支持します」と訴えた。
3月8日の国際女性デーには、冷たい雨の中「ひと筆髭」をつけた労働組合の女性たちが、ポスターを首から下げて大通りを練り歩いた。
9月の投票日直前には、新聞の見開き全面を使った新聞広告も出した。病院のナースステーションらしき部屋で、主要8政党の党首と白衣の看護師が会議をしているかのような合成写真。看護師の「性差別賃金を減らす具体策はなんですか。いつ、それを実行しますか」という質問が大見出しとなり、各党首の「特別予算を組みます」などという弁明が書き込まれている。作戦の総経費は300万クローネ(約4500万円)。

日本の賃金格差は、男100円に対して女66円。これは正職員に限ったものだから、非正規を含めると女性は50円程度だろう。地球全体で見れば、格差が縮まる方向に動いているのだが、問題はいつ達成されるか、だ。
ダボス会議で知られている「世界経済フォーラム」は2015年末、世界の男女賃金格差が解消するのに、あと何年かかるのかを諸々のファクターを勘案して試算した。それによると、118年だとか。

2016.5.10

第36回新ドル札の顔になる19世紀のモーゼ(アメリカ)

第36回 新ドル札の顔になる19世紀のモーゼ(アメリカ)

アメリカ・メリーランド生まれの奴隷ハリエット・タブマンは、1849年、奴隷制のないフィラデルフィアへの逃亡に成功した。その直後の安堵の気持ちが、こんな記述で残っている。
「越えたんだ。私は、前と同じ人間なのかと両手をまじまじと見た。あらゆるものが輝いていた。木立の合間から出てきた太陽は、田園の上に輝き、まるで天国にいるような気分だった」。
彼女の逃亡を助けたのは、「地下鉄」という隠語で知られる秘密結社だった。奴隷は「乗客または貨物」、奴隷を誘導するリーダーは「車掌」、隠れ家は「停車駅」、隠れ家の提供者は「駅長」。
黒人たちはいくつもの「停車駅」の支援を受けながら逃げた。捕まればリンチ・虐殺が待っていた。夜陰に乗じて道なき道を荷車を引いて逃げた。
「地下鉄」は1810年から1850年までの40年間に10万人ほどを解放したといわれている。

ハリエットは逃亡の翌1850年、めい一家(奴隷)が転売されると知るや、密かにメリーランドに戻って、一家を無事に逃亡させた。以来、「地下鉄の車掌」として、親類縁者60人を逃亡させた。
1850年、アメリカ合衆国議会は南部議員らの圧力によって「逃亡奴隷法」を制定。逃亡を手助けした者は厳罰に処せられ、逃亡者は元の州に送還されることになった。すると彼女は、カナダへ逃亡させた。脱出させた奴隷は11年間に300人以上といわれ、ハリエットは「モーゼ」と呼ばれるようになった。
南北戦争の時には北軍側のスパイとして暗躍。その後は女性参政権獲得運動に身を投じた。彼女を崇拝する上院議員からニューヨークに小さな土地を譲りうけて家庭を築いたが、やがてその土地を教会に寄進。貧しい黒人の老人のための施設を建てて、自らもそこで93歳の生涯を閉じた。1913年だった。

今年4月、ハリエット・タブマンが新20ドル札の顔に選ばれたニュースが世界に流れた。
アメリカ紙幣にアフリカ系アメリカ人の顔が登場するのは初めてのことだ。「女性参政権獲得100年」の2020年を記念して、女性団体が女性の顔を新20ドル札に採用せよと大運動を展開。アメリカ財務省は、この声に応えて60万人以上にアンケート調査した結果、ハリエット・タブマンが1位だった。
今から4年たつと、新20ドル札の表面に彼女の顔が現れて、現20ドル札のアンドリュー・ジャクソン元大統領は、裏面に移される。ジャクソンは、何百人もの奴隷を使っていた綿花栽培王であった。

2016.5.10

第49回断頭台の露から223年(フランス)

第49回 断頭台の露から223年(フランス)

2003年、夏のパリ。
フランス政府の「女性の権利と平等に関する事務所」の応接間に通された私の目に、オランプ・ドゥ・グージュのポスターが飛びこんできた。なんと、パリまでの飛行機の中で読み終えた本の主人公だった。
オランプは名、ドゥ・グージュは姓。フランス革命の魂である『人権宣言』(1789)を「男性の権利をうたったにすぎない」と痛罵した女性として知られる。批判だけでなかった。「女性および市民の権利」と称する『女権宣言』を自ら書きおろした(1791)。
その中でオランプは「女性は断頭台にのぼる権利を持っているのだから、演壇にのぼる権利をも有する」と政治への参画を高らかに宣言した。結婚して子どもを産み、家族の世話やしつけにいそしむことが、あるべき女性の姿だった時代の話だ。
王妃マリー・アントワネットに直訴した彼女は「反革命派」のレッテルを貼られた。へこたれることなく、次にロベスピエールの暴力主義を非難した。
そして彼の手にかかって投獄され、1793年11月3日、断頭台の露と消えた。

彼女は、1748年、モントーバンの肉屋の娘として生まれ、18歳ごろに結婚し、20歳で〝未亡人〞(彼女はこの言葉を嫌った)となった。
まともな教育を受けていなかったので、パリに出てからフランス語を学んだ。投獄されるまでに、何十冊もの戯曲や小説のほか、おびただしい数の政治関係著作を残した。
テーマは、〝未亡人〞の権利、婚外子の権利、黒人の権利、表現の自由、貧者の連帯、刑事法廷の市民による陪審制、死刑の廃止、所得税の義務など、21世紀の今でも通用するものばかりだ。

「このポスターは、何十倍にも拡大して、2002年3月、『フランスの偉大な女たち』と題したイベントで、パンテオンを飾ったんですよ。マリー・キュリー、シモーヌ・ドゥ・ボーボワールたちと共にね」と事務所所長は私に語った。
フランスには、「偉人が葬られるパンテオンはなぜ男ばかりなのか」という女性運動がある。そこに祀られるべき女性の筆頭がオランプ・ドゥ・グージュだとか。
2016年10月、フランスからこんなニュースが届いた。
「オランプ・ドゥ・グージュのパンテオン入りはなりませんでした。でも、フランス女性たちは、国会議事堂内に彼女の胸像を設置させました。彼女がギロチンにかかってから、実に223年です」

2017.8.10.25

第50回美術界のゴリラ 30年後も健在(アメリカ)

第50回 美術界のゴリラ 30年後も健在(アメリカ)

「メトロポリタン美術館に女性が入るには、裸じゃないといけないのか?女性作家は近代美術部門の4%以下だが、裸体画の76%以上は女性だ」
鮮やかな黄色をバックに極太の黒い文字。強烈なのはゴリラの面をつけて横たわる裸体の女性だ。
どこかで見たことがある?そう、ルーブル美術館にある超有名な「横たわる女性(グランド・オダリスク)」だ。
新古典主義最後の巨匠ドミニク・アングルが19世紀に描いた。美術史家がこぞって「輝く肌と優雅な曲線の女性美」と絶賛。裸婦の顔は彼が心酔したラファエロの描く若い女性にそっくり、と本に書かれている。
ところが、このポスター、裸婦の顔は毛むくじゃら、大きな鼻の穴、牙をむいた野生のゴリラだ。フェミニスト・アート・アクティビスト集団「ゲリラ・ガールズ」によって創られた。

そもそもの始まりは1985年、ニューヨーク近代美術館が行った「現代絵画・彫刻における国際調査展」。165人のアーティストの作品が展示されたが、、女性アーティストはたった17人、しかも全員白人だった。館長は「この特別展に展示されていない芸術家は、彼・・のキャリアを(his career)考え直したほうがいい」と臆面もなく述べた。
ニューヨークの女性アーティストたちは、これで女性差別、人種差別を確信。自らを「美術界の良心 ゲリラ・ガールズ」と名乗って立ち上がった。
スタート時代、ゲリラ・ガールズは、スぺリングをゴリラ・ガールズと間違えてしまった。ところが、そのミステイクが創造力を刺激した。ゴリラのマスクをつけて差別撤廃運動をしてみると、ユーモアと皮肉が混じった鋭い批評になった。おまけにメンバーの匿名性を保てるため、狭い美術界でキャリアを失わずにすんだ。

私はニューヨークに住んでいた1980年代、アメリカ女性たちが美術界や広告界の性差別を痛烈に批判していることを見聞きしていた。帰国後しばらくして、ゲリラ・ガールズという女性グループができたというニュースを知った。
あれから30年たった先日、ゴリラ、いやゲリラ・ガールズがアメリカの人気テレビ番組でお茶の間をわかせているのをユーチューブで見た。思わず拍手してしまった。

2017.8.10.25

第53回パパ・クオータ生みの親の訃報(ノルウェー)

第53回 パパ・クオータ生みの親の訃報(ノルウェー)

2017年11月9日、ノルウェーの親友から「グレーテ・ベルゲがたったいま亡くなった」というメールが届いた。
ジャーナリストのグレーテがブルントラント首相付きの広報担当官に抜擢されたのは1988年。数年後、ノルウェーの子ども・家族大臣にと、首相から懇願された。子どもが小さかったので承諾するまで悩みに悩んだ。「子育てと大臣の両方の仕事をこなせないようでは、今までの女性解放運動は何だったと問われるでしょうね」と記者会見で語った。

ポスターは、彼女が大臣だった90年代後半のもの。子ども・家族省と男女平等オンブッドと男女平等審議会の3機関が手を携えて作成した。
ド派手な黄色のシャツにジャラジャラ・アクセサリーをつけた厚化粧の金髪女性が「私はフェミニストなんかじゃないッ」と大声で叫んでいる。
ところが彼女は、次にこうつぶやく。
「でも、なぜ昼休みの電話番はいつも女なの?」
「でも、なぜ最低年金者の9割は女なの?」
「でも、なぜ夫は機械いじりが好きなのに洗濯機には触らないの?」
「でも、なぜリストラがあると真っ先に女が消えるの?」
「でも、なぜ子どもが病気だと私が呼び出されるの?」
グレーテの仕事は早かった。
18週だった育休が、1992年には給与8割補償で44週になり、93年には52週にまで延長された。無給なら3年間休めるようにもなった。ノルウェー全土に6万か所の保育園建設を進めて、待機児童を無くした。
でも、これは序の口。1993年、彼女は「パパ・クオータ」を世界に先駆けて法制化した。
パパ・クオータは、pappapermisjonの私の意訳。父親の育休取得率を上げるための、父親専用の育休保障制度だ。男性が、育児休業をとって家事育児の主たる担い手になることによって、子育ての大切さを知るようになる。グレーテはこれを「愛の強制」と呼んだ。

結果は、1994年まで4%だったパパの育休取得率が、1998年には80%へと激増。さらに出生率も1・7から2・0近くに回復した。現在ノルウェーは、男性の家事時間が世界で最も長く、「母親が世界で最も幸せな社会」といわれる。
世界の模範となったノルウェーの男女平等政策の多くは、グレーテ・ベルゲの息がかかっている。
享年63歳。早すぎる。

2017.12.10

第55回セクハラやめろ!(スウェーデン)

第55回 セクハラやめろ!(スウェーデン)

ハリウッドの大物プロデューサー、ワインスタインの性暴力が『ニューヨーカー』と『ニューヨーク・タイムズ』に暴露されたのは、2017年10月だった。
すると堰を切ったように「私も」「私も」と女たちの告発が続いた。ツイッターによる「#Me Too(私も)」は世界中に広がり、今も止まない。
中でもスウェーデンのそれは怒涛の勢いだ。
映画・演劇界では、オスカー受賞者アリシア・ヴィキャンデルを含む653人。オペラ界では世界的ソプラノのニーナ・シュテンメを含む690人。司法界では女性弁護士が、「セクハラ容認文化を根絶しよう」という署名運動を開始し、11月半ば6000人に達した。
男女平等大臣、中等教育大臣、文化・民主主義大臣は、やる気を表明。ついにスティファン・ロベーン首相は12月18日、「セックス同意法」という新しい法律を国会に提案し、記者会見でこう述べた。
「相手が望んでいるかいないか、はっきりしないなら、セックスをしないことです。私たちは、社会の考え方、価値観を変えなければなりません」
スウェーデン最大の日刊紙『ダーゲンス・ニュヘテル』の文化担当デスクは「#MeToo」を女性参政権に次ぐ、国を揺るがす女性運動と評価した。

今日の1枚は、そのスウェーデンの20年ほど前のセクハラ防止ポスターで、女の子が不気味な蛇の首をしめて「やめて!」と叫んでいる。
スウェーデン男女平等オンブズマンが作成した。スウェーデンは、1998年から数年間かけて、中学生向けセクハラ撲滅プロジェクトを開始した。校長や教育関係者向けの啓発本がつくられ、泊まり込みの研修なども行われるなど、セクハラ撤廃運動が展開された。このポスターはその時に、子ども向けに作成された。
ポスター下部のスウェーデン語を訳すとこうなる。
「あなたの自尊心が奪われることがあってはなりません。性的な言葉を言われて我慢することもありません。あなたを口汚くののしったり、ぶったりする権利は誰にもありません。いいですか、あなたは、価値のある人間です。いじめやいやがらせがあれば、校長先生は闘ってくれます。もしも、不快なことをされたら、校長先生か、あなたの信頼する大人に通報しなさい。または、男女平等オンブズマンに電話して、相談してください。電話番号……」
スウェーデンのこの運動の盛り上がりには、国をあげて女性差別撤廃と男女平等推進に取り組んできた20年の歴史がある。
それにつけても、わが日本政府の知らんぷり、日本社会の静寂。なんだこれは。

2018.2.10

第68回女たちよ あなたの権利を行使しなさい(フランス)

第68回 女たちよ あなたの権利を行使しなさい(フランス)

3月8日は国際女性デー。女性が女性であることを喜び、女性差別の撤廃を誓う日だ。
このポスターは、1991年の国際女性デーに向けてフランス社会党がつくった。線描の顔は、ジャクソン・ポロックの描く抽象画のようだ。
今では国連も祝う国際女性デーだが、かつては社会主義国の行事とされて、資本主義国は敬遠した。しかし、首相付女性権利担当大臣のイヴェット・ルーディは、女性の権利をたたえる日を、国をあげて大々的に祝うべきだとミッテラン大統領に提案した。1982年のことだ。

「社会党の女性政治家の鑑」と仰がれる、そのイヴェット・ルーディ元大臣に私がインタビューしたのは、2003年夏だった。
日本では衆院選が終わったばかりで、480議席中女性は35人、7%という惨状だった。同じ頃、フランスは「公選職への女性と男性の平等なアクセスを促進する法律」を制定して世界を驚かせた。政党に候補者を男女半々とするよう義務づける法律で、いわゆる「パリテ選挙法」と呼ばれる。「候補者を男女同数にしない政党は政党助成金が減額される」といった、具体的罰則まで盛り込まれている。
イヴェット・ルーディに、闘いかたを聞いた。
彼女のモットーは、「女性の権利を確実にするには女性が議会に出ること」。「だから、大勢の女性を議会に送るため、うんざりするほど長い間、クオータ制の運動をしてきた」と、苦笑いしながら話してくれた。
彼女は1982年、地方選の候補者リストについて、男も女も全候補者の75%を越えてはならないという、いわゆるクオータ法を成立させた。ところが、そのクオータ法が憲法院にかけられ「違憲」に。以来、クオータ制導入運動は何年間も足踏み状態を味わった。
しかし、彼女はあきらめなかった。「パリテのための10人宣言」を1996年、週刊誌『レクスプレス』のフロントページに載せた。「政党は、男女同数議会をめざすためにクオータ制を導入すべきだ。それには憲法改正が必要である」。こう宣言したのだ。
それを機に白熱した論戦が展開され、同年の総選挙で社会党は、国会議員候補30%を女性にして大躍進。首相は、男女同数議会をつくるための憲法改正を公約し、1999年、パリテ(男女同数)をうたった憲法を実現させた。「パリテ選挙法」が成立したのはその翌年だ。
彼女は私に言った。
「議論する、書く、訴える…とにかく粘り強く続けること。そして、将来は、小選挙区制という女性に不利な選挙制度の改正も進めなくてはいけませんね」

2019.3.10

第69回(z)r’anaはDVを一瞬でわからせる(チェコ)

第69回 (z)r’anaはDVを一瞬でわからせる(チェコ) 第69回 (z)r’anaはDVを一瞬でわからせる(チェコ) 第69回 (z)r’anaはDVを一瞬でわからせる(チェコ)

2019年3月中旬、チェコのプラハ。
私が訪ねた「プロフェム」という調査・相談・企画を手がける女性団体は、ドナウ河南東の住宅地区にあった。アメリカからのインターンも含めて10人ほどの女性が、広く明るい部屋でパソコンに向かっていた。
広報担当のエヴァ・ミヒャルコバは、10年ほど前の3枚シリーズの傑作ポスターを探し出してくれた。
それは、DVの深刻さを一瞬でわからせる強烈なインパクトがあった。1枚目は右目の赤いアザを隠そうとする女性。2枚目は子どもへの被害、3枚目はDVの神話の過ちを伝えたもので、作成は芸術デザイン専門学校の学生たちだった。
今回は1枚目を解説しよう。
「下に書かれた『ズ ラーナ』というチェコ語が理解できると、もっとハッとしますよ。少し難しいのですが英訳してみますね」
カッコでくくられている「Z」は「ズ」と読む。カッコを外した「ズ ラーナ」は「朝に」とか「朝から」という意味で、ズのない「ラーナ」は「殴打」という意味だ。「ズ ラーナ」の「ズ」は弱く発音されるため、「ズ ラーナ」はチェコ人には「ラーナ」と聞こえるのだという。
「『ズ ラーナ』という日常に『暴力』を潜り込ませたのです。朝の出勤前でしょうか、女性は夫から殴られた右目のクマをサングラスで隠そうとしている。首にまかれた太い鉄の鎖はDVの恐ろしさの象徴です」
「ズ ラーナ」の下には、ごく小さな文字で「DV被害者の92〜98%は女性」とある。

チェコは2004年にEUに加盟した。以来、EUの男女平等政策を取り入れてくれるものと女性たちは期待したが、政府は動かない。DV根絶への最も優れた国際法規といわれる「イスタンブール条約」(2014年発効)を、いまだ批准しようとしない。だから民間の女性団体が目を光らせ、圧力をかけ続けているのである。
「今のチェコはEUに懐疑的なポピュリストが政権を握っています。この状況下でプロフェムが存在できるのは、EUやノルウェー政府(EU非加盟)の継続的な財政支援のおかげなのです。でも、自慢したいこともあります。チェコの初代大統領トマーシュを知っていますか?」
トマーシュは貧しい荷車引きの息子だったが、哲学の大学教授から国会議員になった人物で、最高額のお札に印刷されているチェコの聖徳太子だ。
「彼は女性差別を嫌悪し、1920年に憲法に女性参政権も含めた男女平等を書き入れました。それに、結婚したときには、自分の苗字を妻の苗字に変えたのです。時代を先取りした男性なのですよ」

2019.4.10