宗教と共生 第2期 インドネシアの宗教と共生のあゆみ

文化人類学者 ② 吉田ゆか子 Yoshida Yukako

吉田ゆか子

色々なところを渡り歩くより、
同じところに何度も通って馴染んでゆくのが好きです。

2005年より筑波大学大学院にてバリの仮面劇トペンを研究し、現地で初心者の踊り手として儀礼の奉納上演に参加しながらフィールドワークを実施。2012年博士号取得。その後国立民族学博物館の研究員を経て、現在東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授。バリの儀礼で上演される各種の芸能、特に仮面芸能とそれを支える人々の暮らしに関心がある。10年程前から、ジャカルタ首都圏でのバリ芸能やバリ・ヒンドゥー教実践の調査もしている。

所属

東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所/聖心女子大学グローバル研究所客員研究員

専門

文化人類学、バリ芸能研究、インドネシア地域研究

調査地

バリ、ジャカルタ、日本

おもな業績

●『コロナ下での芸能実践―場とつながりのレジリエンス』(増野亜子と共編、春風社、2025)。
●『バリ島仮面舞踊劇の人類学−人とモノの織りなす芸能』(風響社、2016)。

論文

“Balinese Dances in Multi-religious Jakarta: A Preliminary Study of Muslim Learners and Hindu Instructors.” in Hideo Tomizawa & Ikuya Tokoro eds. Islam and Cultural Diversity in Southeast Asia(Vol.2): Perspectives from Indonesia, Malaysia, the Philippines, Thailand, and Cambodia. pp.77-89 (ILCAA, Tokyo University of Foreign Studies, 2018).

都市における共生

ジャカルタ首都圏の
バリ・ヒンドゥー教徒とその隣人たち

全体的な背景

インドネシアの首都ジャカルタとその周辺、ジャカルタ首都圏(JABODETABEK)におけるヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の暮らしを見てみよう。ジャカルタ首都圏では、国の宗教人口の構成を反映してイスラーム教徒が圧倒的多数を占める。そこへ出稼ぎや進学の為に移り住むバリ出身のヒンドゥー教徒や、彼らの家庭で生まれたジャカルタ育ちのヒンドゥー教徒たちが暮らしている。イスラーム教徒に囲まれた中で暮らす彼らの日常とはどのようなものか。また、ヒンドゥー教の宗教儀礼や、関連するバリ文化(舞踊や音楽)はどのように伝承されているのだろうか。

ジャカルタ首都圏には、バリ出身者の他、少数ながらインドやジャワ島等を出身とするヒンドゥー教徒も暮らしており、この統計の「ヒンドゥー教」にはそれらの人々も含まれている。ただし、今回の展示ではそうした非バリ系のヒンドゥー教徒については対象に含まない。以降「ヒンドゥー教徒」と書いたときには基本的にバリに系譜をもつ人々やその家族のことを想定している。

ジャカルタ首都圏とバリ州の宗教人口構成の比較円グラフ

Part.1 バリ人が多く住む地域
「カンプン・バリ」の日常

●64世帯のうち19世帯がヒンドゥー教徒(バリ人やその配偶者)であるこの地区は、ブカシ市に位置する。
●バリ系の住民(ヒンドゥー教徒)たちがバリ風の家を建てたり、家の周りを植物で飾ったりしたために、独特の景観を持つようになった。
●カンプンとは村や集落のことで、この地区は、次第に「カンプン・バリ・ブカシ」と呼ばれるようになった。

ヒンドゥー教徒の家の前
緑の多い外観
ヒンドゥー教徒の家の前。バリ風の建物をたて、彫刻で飾る。この時はヒンドゥー教の祭日ガルンガンに関連して、神々を迎える竹の装飾柱ペンジョールも建ててあった。
水やりをするヒンドゥー教徒のワヤンさん
水やりをするヒンドゥー教徒のワヤンさん
ヒンドゥー教徒たちが好んで家の外に植物を植えたことも、この地区の外観をユニークなものとした。イスラーム教徒の住人もそれを歓迎し、現在公共スペースにはたくさんの植物が植わっている。近年はこの独特な景観を生かし観光客を呼び込もうとする動きもある。

ある日の地区の様子

結婚式の準備 地区の女性たちが、バニュワンギのガムランを練習していた。イスラーム教徒が多いが、ヒンドゥー教徒やキリスト教徒のメンバーもいる。あるメンバーの子どもが結婚式を挙げることになり、その余興を準備している。指導していたのはヒンドゥー教徒のワヤン・スナトラさん。その他の住人も、会場の飾りつけや、見物のために集まってきた。

会場の飾りつけをする男性たち

scholar's notes

結婚式の準備 同じころ、男性たちは会場の飾りつけ等の準備を行っていた。これらは相互の助け合い、「ゴトン・ロヨン」と呼ばれ、無償の奉仕活動である。

持ち寄った食事をともにする人々

scholar's notes

結婚式の準備 昼食の時間になると、地区長を初め、近隣の人たちが食事を持ち寄り、みなで食べた。

地区の青年たち

地区の青年たちもまた、様々なイベントを企画する。もちろんイスラーム教徒もヒンドゥー教徒も参加している。

夜に集まる地区の青年たち

イスラームの断食月

路上に用意された断食明けの宴の席

イスラームの断食月には、日の出から日没まで飲食を控える。この期間、日没後の宴がしばしば開かれていた。地区長が出資し、その他の人たちも食事を提供しあって、共に食す出入り自由の会である。イスラーム教徒たちは、遠慮するヒンドゥー教徒たちを熱心にさそった。

宴に招待されたワヤン・ウィダナさんと地区長プジさん

scholar's notes

宴に招待されていた、故ワヤン・ウィダナさん(左)とその息子(右)。中央は、宴を主催していた地区長のプジさん。ワヤン・ウィダナさんは、ヒンドゥー教の住民のリーダー的存在の一人で、こうしたイスラームの行事へは積極的に参加していた。

ヒンドゥーの年末〜正月

住民の集まり
夜の街を練り歩く楽団

scholar's notes

2024年3月イスラームの断食が続くなか、ヒンドゥー教徒たちは、彼らの暦「サカ暦」における年末を迎えていた。カンプン・バリでは、大きな音を立て、供物やお香で場を清める儀礼「ムチャルー」が行われた。地区内の道路をヒンドゥー教徒たちの楽団が練り歩きながらガムランを演奏し、おどろおどろしいハリボテ「オゴオゴ」を模した人形を持った子どもたちはその先頭を歩いた。イスラーム教徒の住人は、家の前でこれを眺めたり、スマホで撮影したり、一緒について回ったりした。

ヒンドゥーの正月ニュピ

閉じられた地区の門

その翌日は正月ニュピ。外出せず、家の中で静かに過ごす習わしである。バリでは空港も閉鎖され、店も役所も閉まる。他方、ジャカルタ首都圏ではヒンドゥ―教徒以外にとっては、単なる休日である。ただし、カンプン・バリでは、静かなニュピの環境を維持できるようヒンドゥー教徒以外の人々が全面協力する。
出入口には「ニュピのため閉鎖」との文字。

ニュピのため閉鎖された出入口

scholar's notes

いつも子どもたちが遊んでいる路地も、この日は見かけなかった。奥に座っている2人は、地区の出入口の番をしているイスラーム教徒の住人。この日ばかりは宅配便のバイクも中に入れず、荷物をこの出入口で受け取る徹底ぶりである。

イスラームの断食明けの日

イスラームの断食が明けた後、近所や、親戚、友人らを訪問するハラル・ビハラルが行われた。イスラーム教徒たちは、家族で出て来て、握手や抱擁をし、これまでの過ちを謝罪し、許しを請う挨拶をする。ヒンドゥー教徒やキリスト教徒も着飾ってやってきて、同じように挨拶や抱擁を交わした。

ハラル・ビハラルの通りの様子
着飾って挨拶に訪れる親子

scholar's notes

子供は、少額のお金が入った封筒を受け取る。

Part.2 ジャカルタ首都圏の
ヒンドゥー寺院とその活動

多様な活動が行われる寺院

ジャカルタ首都圏のヒンドゥー寺院は、単なる祈りの場ではない。そこは多様なヒンドゥー教徒たちの活動が実施される多目的の空間である。バリ島内であれば、各家庭や、地区の集会場や学校などでおこなわれる活動(結婚式や、地区の会合、楽器演奏や踊りの練習、供え物づくり等々)は、ジャカルタ首都圏では寺院に集約されていることが多い。多数派イスラーム教徒は、その場所さえ知らないことも多いが、ヒンドゥー寺院は、普段マイノリティとして暮らすヒンドゥー教徒たちが、同胞や同郷者に会いほっと一息ついたり、様々な作業に参加して友達関係を築いたりする場所でもある。

寺院の中庭
寺院の中庭
ヒンドゥー寺院の塔門(チャンディ・ブンタル)

scholar's notes

寺院の奥の敷地は祈りの場所。祭りの日の他、満月や新月にも人々が祈りを捧げにやって来る。

信仰の実践や、バリ文化の継承

バンジャール(相互扶助組織)の定期集会
バンジャール(相互扶助組織)の定期集会
儀礼歌の練習
儀礼歌の練習

scholar's notes

寺院併設のスタンドでは供物や儀礼具やバリ料理を売っている。赤いシャツの女性は、このスタンドで長年商いをするマデさん。マデさんとその友人が空き時間に供物をつくっていた。

年末の浄化儀礼の準備をする男性たち
年末の浄化儀礼の準備をする男性たち

寺院前での地域活動
(断食明け軽食の配布)

配布用に用意された軽食の袋

ヒンドゥー教サカ暦の年末にかけて、様々な奉仕活動をする。この年は、イスラ−ムの断食月にあたっていたため、寺院前の通行人たちに、断食明け用の軽食タクジルを多数配布した。ヒンドゥー寺院の社会貢献を可視化するためのイベントでもあり、各寺院で行われた。

寺院前での配布の様子
寺院前での配布の様子。
青年部のブース
青年部も同様にブースをだして軽食を配布した。

オゴオゴパレード

ヒンドゥー教の年末の浄化儀礼では、オゴオゴと呼ばれるおどろおどろしいハリボテを担いで歩く。寺院の周辺を、大音量のガムラン音楽を伴いながらパレードするもので、公共の道路を一時的に占拠する。普段多くの宗教儀礼は寺院内で行われ、近隣住民が目にすることは少ない。他方オゴオゴのパレードは、ヒンドゥー教徒たちの宗教実践の熱気を公的に表現する数少ない機会である。

オゴオゴのパレードを見物する住人
近隣の住人達も足を止め、パレードを楽しんだ。

Part.3 ヒンドゥー教とイスラーム教の
交流の場としての芸能

ジャカルタ首都圏において、ヒンドゥー教徒の宗教実践についてはあまり知られていないが、バリの芸術・芸能には定評がある。芸能は、ヒンドゥー教徒であるバリ人が自己の民族的宗教的アイデンティティを公に表現する一つの手段である。また、芸能がヒンドゥー教徒と異教徒達(その多くはイスラーム教徒)との交流の場となっているという側面もある。

寺院の外庭での舞踊レッスン

寺院の外庭で行われる舞踊レッスン

scholar's notes

ヒンドゥー教徒もそうでない人も共に汗を流す。バリ舞踊は女児の習い事として人気が高い。付いて来た親も、おしゃべりを楽しんだり、一緒に踊ったりする。

ヒンドゥー寺院の外庭を利用して、信徒の男性が舞踊レッスンを定期開催している。ヒンドゥー教徒たちの文化伝承の場でもあるが、多くのイスラーム教徒も参加している。

聖水を頂く子どもたち
レッスン前に寺院の奥の敷地にて聖水を頂き、練習の成功を祈るヒンドゥー教徒の子どもたち。

寺院祭での舞踊上演

水鳥の踊りマヌ・ラワ
水鳥の踊りマヌ・ラワ

ヒンドゥー教の寺院祭では様々な舞踊が上演されるが、ジャカルタ首都圏では、イスラーム教徒の踊り手が参加することもある。

戦士の舞「バリス・グデ」
戦士の舞
「バリス・グデ」

イベントでのケチャ上演

海辺で上演されるケチャ

ジャカルタでは、各地域の芸能を短時間ずつ上演させるイベントが、国内の文化的多様性を祝うものとして、頻繁に実施されている。バリ芸能はそのようなイベントの常連である。この時のケチャはカンプン・バリの住人が多く参加し、数名の非バリ系の住民(イスラーム教徒)も含まれている。

Movie 動画

Exibits 展示品

戦士の仮面
戦士の仮面
仮面劇トベンに登場する戦士の仮面。王に仕える勇ましい役どころ。
I Made Regug氏作
吉田ゆか子 個人蔵
僧侶の仮面
僧侶の仮面
仮面劇トベンに登場する僧侶の仮面。バリのヒンドゥ教の教義や儀礼の意味や作法について語る役どころ。背の高い帽子が特徴的。
Suprapta(Kadeki)氏作
吉田ゆか子 個人蔵
王の仮面
王の仮面
仮面劇トベンに登場する王の仮面。白は神聖さの表現である。
Ida Bagus Ketut Rajastra氏作
吉田ゆか子 個人蔵
戦士役の頭飾り
戦士役の頭飾り
仮面劇トベンに登場する僧侶役の帽子。
I Nyoman Sika Kobe氏作
吉田ゆか子 個人蔵
僧侶役の頭飾り
僧侶役の頭飾り
仮面劇トベンに登場する僧侶役の帽子。
I Nyoman Sika Kobe氏作
吉田ゆか子 個人蔵