文化人類学者 ③ 増野亜子 Mashino Ako
ネットで何でもわかるようだけど、行ってみないとわからないことってたくさんあります。
太鼓の響きも、ご飯の味も、空の色も。
東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位習得退学(比較文化学専攻)。1993年〜1995年インドネシア芸術大学デンパサール校影絵芝居専攻に留学。現在、明治大学情報コミュニケーション学部特任講師。東京藝術大学在学中にバリのガムランを学び始め、現在も調査・研究・教育の傍ら、演奏活動にも情熱を注いでいる。
所属明治大学情報コミュニケーション学部/聖心女子大学グローバル研究所客員研究員
専門民族音楽学 東南アジア芸能研究 ガムラン演奏
調査地インドネシアを中心とする東南アジア
おもな業績●『声の世界を旅する』(音楽之友社、2014)/『民族音楽学12の視点』(徳丸吉彦監修、増野亜子編、音楽之友社、2016)。
論文
“The Body Visualizing the Music: Seeing and Showing Body Movement in Balinese Gender Wayang.”The World of Music 9-1:47-66. (2021)
“Being Muslim-Balinese: The Music and Identity of the Sasak Community in Eastern Bali.” Music and Marginalisation: Beyond the Minority-Majority Paradigm, Senri Ethnological Studies 105, edited by Ursula Hemetek, Inna Naroditskaya and Terada Yoshitaka. Osaka: National Museum of Ethnology. pp.81-97. (2021)
Part.1 バリのイスラーム教徒の日常
ヒンドゥー教徒が多数派を占めるバリ島ですが、人口の約1割はイスラーム教徒です。その中には仕事や商売のために他の島からやってきた短期滞在者も含まれますが、何世代も前からバリ島で生まれ育った生粋の「バリ人」のイスラーム教徒もいて、島のあちこちにこうしたイスラーム教徒の集落が存在しています。特にバリ東部のカランガッサム県には何世紀も続くイスラーム教徒の集落があり、人々はまわりのヒンドゥー教徒の人々と関係を築きながら、自分たちの信仰や慣習を維持してきました。このセクションではカランガッサム県のシンドゥとサレンジャワという二つのイスラーム集落をとりあげ、彼らの生活や儀礼、ヒンドゥー教徒との交流の様子を紹介します。
イスラーム教徒の集落の中心にあるのはモスク(マスジッド)と呼ばれる礼拝のための場所です。最近は中近東風の建築も増えてきましたが、アラブとは異なったローカルなデザインのモスクもあります。
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シンドゥ集落のモスク入口。門には神聖なアラビア語の文字が装飾的に用いられている
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モスクに置かれた礼拝時刻を示す特別な時計。イスラーム教徒は一日に5回夜明け前、昼、午後、日没、夜に礼拝を行う。毎日異なる礼拝時刻を人々に知らせるため、モスクからは毎回アザーンという呼びかけの朗誦が大きな音で流れる。
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サレンジャワ集落の入り口。このような割れ門は、イスラーム教徒・ヒンドゥー教徒を問わずジャワ島やバリ島で集落の境界を示すものとして広く見られるが、サレンジャワの割れ門には、モスクによく用いられる金色のドーム型装飾が載っている。
サレンジャワ村のブルダ朗誦の練習 サレンジャワ村では大きな枠太鼓ルバナを叩きながら、アラビア語の宗教詩ブルダを朗誦する伝統があり、預言者ムハンマドの生誕祭など、特別な機会に歌われるほか、集落の中で日常的に練習のために集まって歌うことも、信仰の重要な一部である。15〜16世紀にインドネシアにイスラームを広めた聖者たちは、布教の際に太鼓などの楽器や旋律的な声楽などを用いたといわれており、ブルダもこうした宗教実践としての音楽に起源をもつと考えられる。
三角形の屋根をもつローカルな建築様式
Part.2 イスラーム教徒の祝祭
イスラーム教徒の生活はヒンドゥー教徒とは異なる独自の暦にしたがって営まれます。イスラーム教徒の義務とされる断食(ラマダン)の終了を祝うイドゥル・フィトリ、預言者ムハンマドの生誕祭りマウリッド等のイスラーム教徒独自の祝祭、集落の人々の婚礼等の際には人々はモスクに集まります。
モスクはイスラームの神・アラーに祈りを捧げるための神聖な場所であると同時に、こうした祝祭日に人々があつまり、にぎやかに会食したり、芸能を行ったりする場所でもあり、集落の中心です。
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断食(ラマダン)の終了を祝うイドゥル・フィトリの際にシンドゥのモスクに集まった人々の様子。約1か月に及ぶ断食期間中は、日の出から日没まで飲食を断つほか、シンドゥでは毎晩コーランを朗誦して信仰を深めることで貧しい人々の境遇を理解し、善行を積み、人々の絆を確認する。断食明けには集落の人々がモスクに集まって食事を共にする習慣がある。
集まって食べる
断食明けのお祝いのために各家庭からモスクに持ち寄られた食べ物を載せた盆。色とりどりの果物を美しく並べた様子は、ヒンドゥー教徒の人たちが神にささげる供物とよく似ている。但しこれらの食事は直接神に供えるものではない。
翌日の結婚式のための料理を準備する女性たち。イスラームの祭日や結婚式などのお祝いの際には集まって特別な料理を作る。この日作っていたのは鶏肉をつくねのようにして串焼きにしたサテ。サテは料理に手間暇かかるうえに、大量に用意しなければならないので親族の女性たちが集まり、手分けして作業し、おしゃべりしながらわいわいと料理していた。サテはヒンドゥー教徒・イスラーム教徒に共通の料理だが、地域によって香辛料の配分や微妙な味の違いがある。
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花嫁の到着を歓迎するためにモスクの中庭で伝統舞踊ルダットを踊る少年たち。ルダットは軍服風の衣装を着て、伝統武術プンチャック・シラットの型を用いて踊るもので、シンドゥ村には大人と子ども、両方のグループがある。
シンドゥとその周辺の集落のイスラーム教徒たちの祖先は、バリ島の東隣にあるロンボク島からやってきた人々である。かつてバリ島東部のカランガッサム王国がロンボク島を支配していた頃、バリからロンボクに渡ったヒンドゥー教の僧侶階級の男性が、ロンボクの貴族出身のイスラーム教徒の女性を花嫁として連れ帰り、彼女に付き添ってやってきた人々がこのあたりに集落をつくったのが始まりである。マウリッドの行列の船は、海の向こうからやってきた彼らの先祖を想起させる。
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シンドゥの人々はマウリッドの前夜に大きな船型の山車を担ぎ、ルダットの先導で、太鼓を打ち鳴らし、歌いながらにぎやかに行列する。イスラーム教徒の祝祭や芸能の多くは集落の中で行われるが、この夜は集落の外へ繰り出し、村の中心まで練り歩く。周辺のヒンドゥー教徒たちも沿道で見物する。
イスラーム教徒とヒンドゥー教徒
バリ島各地の古いイスラーム集落では、近隣のヒンドゥー教徒たちと長いあいだ共存するだけでなく、お互いの儀礼や祝祭に対して敬意を払い、時には協力する習慣がみられます。
植民地時代以前のバリでは、地域をおさめる王族がモスクの建築を経済的に支援したり、イスラーム教徒がヒンドゥー教徒の儀礼の準備を手伝ったりしたというエピソードがバリ各地に存在します。残念ながらこうした習慣が途絶えてしまった地域もありますが、今でも異なる宗教の集落同士でおつきあいの習慣が継承されている地域もあり、また最近になって新しく生み出された交流の場もあります。ここでは特に芸能が、信仰の違いを超えた人々のつながりを生み出している例を紹介します。
2016年、シドメン王宮で行われたヒンドゥー教徒の火葬儀礼(プレボン)にイスラーム教徒のルダット隊が招待されて上演を行った。
バリ各地に存在する王宮(プリ)は現在も社会的な影響力を持つ地域の中心である。王宮が主催する儀礼には周辺の多くの人々が準備段階から参加する。この年のシドマン王宮の火葬儀礼には、シンドゥのルダット隊が招待され、王宮から村はずれまでの火葬場までの行列に、ヒンドゥー教徒の人々と一緒に参加した。写真中央の黒い衣装の人々がシンドゥのイスラーム教徒。写真左側のように頭に布を巻き、下半身にスカート状の腰布を巻いているのはヒンドゥー教徒である。
シドメンの火葬儀礼
牛の形の棺を担ぐヒンドゥー教徒の人々。バリの火葬儀礼はにぎやかである。とりわけ王宮の儀礼では、いくつもの楽隊が音楽を演奏し、儀礼に使うさまざまな道具や棺等を担いで、火葬場まで行列する際には、たくさんの人々が参加する。
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行列の際に、路上でルダットを披露するシンドゥの人々。バリの多くの地域ではヒンドゥー教徒の儀礼にイスラーム教徒が集団で参加したり、芸能を披露したりすることは少ない。ヒンドゥー教徒の参列者の中にはルダットを見たことがない人も多くいたと思われる。ルダットの上演は、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒が共存し、また協力し合うシドメンの地域社会のユニークなありかたを象徴するものとなった。
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行列の途中で、列を扇動していたヒンドゥー教徒の踊り手が、イスラーム教徒の太鼓のリズムに合わせて即興的に踊り始めた(左)。儀礼用の椅子を担いでいた二人のヒンドゥー教徒の男性もつられて一緒にステップを踏む(中央奥)。予期せぬセッションに周囲の人々が笑顔になった。
創作舞踊劇
ガンブー・マスタソマ
新しい創作舞踊作品におけるヒンドゥー教徒とイスラーム教徒のコラボレーションの事例として、創作舞踊劇「ガンブー・マスタソマ」を紹介したい。
<ガンブー・マスタソマ>はヒンドゥー教徒のアーティスト、イダ・アユ・ワヤン・アリヤ・サティアニによる音楽舞踊劇のプロジェクトである。
サティアニの父、イダ・ワヤン・オカ・グラノカは歴史的にヒンドゥー教の知識と文芸の中心地として知られるカランガッサム県ブダクリン村の僧侶の一族の出身で、バリでは広く知られた芸術家・宗教哲学者である。サティアニは自身のルーツであるブダクリン村でかつて盛んに上演されていた舞踊劇ガンブーを、新しい視点からリバイバルした。ブダクリン村は、隣接するイスラーム教徒の集落サレンジャワとのあいだに、歴史的に親密な関係を保ってきた。彼女は新しいガンブーをリバイバルするにあたり、作品の一部としてブダクリンの芸術家たちとのコラボレーションを試みたのである。
伝説によれば15〜16世紀頃に、現在のサレンジャワでは凶暴な魔力を持った牛が暴れまわっていたが、誰も牛を討つことができず人々を悩ませていたという。そこへジャワ島出身のイスラーム教徒の勇者が現れ、この牛を倒し、褒美として王から土地を与えられた。これがサレンジャワ集落のはじまりだとされる。以来、サレンジャワの人々はイスラームの信仰を守りながらも、隣村のヒンドゥー教徒たちに敬意を表し、高僧の火葬儀礼に参加してブルダを朗誦するなどしてお互いの関係を維持してきた。
サティアニの作品には、ヒンドゥー教徒のガムラン音楽や古典舞踊とともにイスラーム教徒の芸能ルダットや枠太鼓の演奏がとりいれられている。
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<ガンブー・マスタソマ>上演の一部。円の中央は白いシャツと黒いズボンで踊るイスラーム教徒のルダット隊で、周辺を囲む白い衣装の男女はヒンドゥー教徒の踊り手たち。
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<ガンブー・マスタソマ>上演の一部。イスラム教徒独自の大きな枠太鼓を叩くサレンジャワの音楽家たちと、花飾りを付けたヒンドゥー教徒の踊り手たち。
Movie 動画
Exibits 展示品

- 頭布(ウダン/茶)
男性は頭にウダンと呼ばれる頭布をまく。一枚の布から自分で成形することもあるが、こちらは既に形が整えられていて、まいて縛ればよいだけの簡易版。 - 男性のジャケット
ヒンドゥー教徒男性の慣習服。長袖の方がフォーマルだと考えられている。ジャケット以外にシャツも可。 - 腰紐(スレンダン/紺)
- エプロン(サプ/黄)
- 腰布(カマン、またはカイン/黒グリーンストライプ)
男性は下半身にまず腰布(カマン/カイン)をまき、その上にエプロン上の布(サプ)をまく。ウエストには帯状のスレンダンを巻いて縛る。色や柄は好みによってさまざま。
- 女性の慣習服(クバヤ)
寺院への礼拝などの際は白無地のものを身に着けることが多いが、結婚式や誕生日のお祝いなどには明るいカラーで着飾る。 - 腰紐(スレンダン/ピンク)
腰に巻きつけ、結ぶ。 - 腰布(サロン/赤)
腰にスカートのように巻き付ける布。
- イドゥルフィトリのグリーティングカード(小サイズ)
- 「マウリッド アルバルザンジ」のインドネシア語翻訳版
右側頁にアラビア語表記、左頁にインドネシア語訳
- イドゥルフィトリのグリーティングカード
イスラーム教徒の人々が断食明けを祝う際の挨拶文が印刷された市販のカード - ラマダン封筒
断食(ラマダン)中にお祝いのお金を贈るための封筒