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【展示】<パン・ヨーロッパ運動の提唱者>リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとそのヨーロッパ統一構想

日本にルーツを持ち、パン・ヨーロッパ運動の提唱者であった作家で政治活動家のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーの生涯と功績を振り返るパネル展示を開催いたします。

 

【展示期間】2023年9月21日(木)~10月27日(金)10:00‐17:00
(日曜日・祝日を除く)

【場所】聖心女子大学4号館/聖心グローバルプラザ1階
アクセス:東京メトロ日比谷線「広尾駅」4番出口から徒歩1分
https://kyosei.u-sacred-heart.ac.jp/access/

【入場】無料
【共催】チェコセンター東京
聖心女子大学グローバル共生研究所

【協力】チェコ共和国プルゼニュ州、ポビェジョヴィツェ市、チェコ国立文化財研究所
【パネル翻訳】篠原琢氏(東京外国語大学教授)

 

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1894-1972)は、オーストリア=ハンガリー帝国の貴族で外交官であったハインリヒ・クーデンホーフと、日本人の青山みつの次男として、東京に生まれました。幼少期はボヘミアのポビェジョヴィツェで過ごし、生涯の大部分を国外で過ごしつつもチェコスロバキアの市民権を持ち、マサリク大統領やベネシュ首相とも密に連携をとっていました。

リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーは、現代のヨーロッパ統合思想の先駆けとなったパン・ヨーロッパ運動の提唱者として歴史に名を残しました。初めてヨーロッパ統合案を発表したのは、今から約100年前の1922年のことでした。日本人の母を持ち東京で生まれただけではなく、日本大学名誉博士号、広島名誉市民、鹿島国際平和研究所の第一回平和賞、昭和天皇への拝謁など、晩年に日本で数多くの名誉を受けました。

~ノンフィクション作家・シュミット村木真寿美先生からのメッセージ~

ドイツとチェコの国境は目に見えないが、一面を覆う森の下には、複雑な歴史が潜んでいる。1989年の11月、鉄のカーテンが崩れる寸前のこと、日本女性が住んでいたことがあるという城を探しながら、私は突然、廃墟に近い無人の建物の前に立っていた。
一体ここで、何が起きたのだろう。それは、1923年に「パンヨーロッパ運動」を始めた半分日本人のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーが育った城のはずだった。冷戦が荒廃させた西ボヘミアを迷い迷ってここに辿り着いた私は、この日、現EUの哲学的バックグラウンドである「パンヨーロッパ運動」の歴史に引き戻されたのである。
彼は書いている。「世界は神が創った。しかし、国は人間が作った」。
では、今の私達は、助け合って生きてゆくために、何が「作れる」のか。
ユーゴで内戦が起きた。私はこのロンスペルク(ポビェジョヴィツェ)の城を蘇らせて平和のシンボルにしたかった。しかし、それは至難の業だった。だが、日本の文化を通して平和を造形してきた若い造園家の仲間達が、2015年のこと、かつてこの城に住んでいた多民族ファミリーを暗示する石庭を造ってくれた。それが、今、城を見上げている、「リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー平和の石庭」である。
歴史にこの故里を貰った人たちが、時々この石庭を囲んで、家路のある幸せを感じ、ここから欧州各地に平和を発信してくれることを願っている。ロンスペルクは私に桑名先生をつれてきた。聖心女子大学での展示は、そんな発信の一つかも知れない。

 

~ チェコ共和国と聖心女子学院 ~

開学当初より聖心とチェコは関係が深く、姉妹校である聖心女子学院や小林聖心女子学院の学舎の設計は、広島の「原爆ドーム」を設計したヤン・レツルやアントニン・レーモンドら著名なチェコ人建築家によるもので、その一部は現在でも使用されています。
2022年12月には、聖心女子大学で、駐日チェコ大使マルチン・トムチョ閣下をお迎えして、特別講演会が開催されました。特別講演会の様子はこちらから。
また、今年8月には本学史学科のゼミ生がチェコ大使館、チェコセンター東京を訪問し、ルカーシュ・ズィーハ領事に貴重なお話を伺いました。詳細はこちらから。