1991年。「日本での展覧会を開きたい」という希望をユダヤ博物館は快諾してくれました。ですが、実物の絵を貸すことは難しいと言います。その言葉に当初は戸惑いましたが、実際の絵を見せられて納得しました。絵はかなり傷んでいるのです。
その当時でも、40年以上前に描かれた絵。「画用紙に描かれているものは少ないのです」と言われましたが、その紙の質の悪さには驚きました。1940年代はじめ、すでにチェコはナチスの支配下。ユダヤ人への差別が始まり、子どもたちは、それまで通っていたチェコの学校から追い出されていました。パンや野菜だって自由に手に入れることができない生活、たとえ文房具店に画用紙があったとしても、ユダヤ人の子どもが買うことはできなかったのです。
それでも、テレジンに送られる時、以前から大事にしまっておいた画用紙を持ち込んだ子もいたのでしょう。
フリードル先生は、収容所への呼び出し状を受け取った日、家にあったありったけの紙や絵の具やクレヨンをトランクに詰めたそうです。
絵の教室では紙が足りるはずがありません。それを知った大人たちは、ドイツ軍の事務所のごみ箱に、丸めて捨てられている書類や手紙を拾い集めました。ドイツ兵たちに送られてくる手紙の封筒、小包の包装紙、チョコレートやクッキーが入っていた箱、なんでも拾い集め、皺を伸ばしてフリードル先生に託しました。そんな質の悪い紙に描かれた絵。動かせないほど傷んでいるものが多く、とても日本に持ち帰ることはかないません。
そこで、絵を写真に撮ってもらうことになりました。今のようなデジタルカメラではなく、フィルムカメラです。「チェコではフィルムがなかなか手に入りません。実力のあるカメラマンはいますから、日本からフィルムを持ってきてくれれば、きちんと撮影してあげます」
大量のフィルムを渡し、150点の撮影を依頼して帰国した翌朝。私は、マンションの郵便受けにたまっていた新聞、チラシを取り出して、その重さ、紙の美しさにはっとしました。ふだんは、平気で捨てていた紙……。あのころ、こんな紙があったら……。